以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。
※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。
意識を拡大するための瞑想 -〈明晰な意識〉を持つ
Meditations on Expanding Our Awareness – Lucid Waking
ジュリアン・ジョンソン
By Julian Johnson
人類は、共同体を作り生活するようになった太古の昔から、意識を拡大するための探究を続けてきました。自分が生きている環境や自分の能力を知り、理解したいという欲求は、人類という種の存続と成長にとって欠かすことのできないものでした。この欲求によって知識は絶えず増え続け、文化という形で受け継がれ、共同体の一人一人と、将来の世代の人々の幸福という目的のために役立ってきました。人類は、自分たちが生きている世界とこの世界に作用している力に対する認識を拡大していき、その進歩によって多くの技術が開発され、人間の健康と物質的な豊かさに貢献しました。物質的な環境の性質に対する人間の認識は、この2世紀の間に急速に発達し、その結果人類は、多くの人口を維持できるようになり、平均寿命も延びています。
この進歩の主な原動力になったのは、物理的に感知できる範囲を身体の限界を超えて拡張したことと、その結果として得られた周囲の世界に対する深い理解を、物質的な利益のために活用したことです。何世紀にもわたって、人類は身体の感覚の範囲を大幅に拡張する道具を考案して制作してきました。拡張されたこのような感覚の一例に視覚があります。人間の目は、網膜の感覚細胞の性質と密度と、水晶体によって能力が限定されていますが、顕微鏡を用いることによって、目の能力を超えて、物質の微細な構造を見られるようになりました。X線装置は、体の内部にまで届く電磁波を用いて、人間の目では知ることのできないイメージを生成します。望遠鏡を用いたときに見られるのは、夜空を眺めていると絶えず目に飛び込んでくるのと同じ光子です。望遠鏡なしでは、あまりにも少ないために知覚することができない光子も、こうして見ることができるようになりました。ビデオなどの映像機器を用いると、別の場所のできごとや、以前に起こったできごとを見ることができます。このほかにも、人間の聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの感覚を拡張してくれるさまざまな発明があります。
五感を拡張することによって、観測可能な宇宙の大部分を支配している物理的な力に対する知識を積み上げることに、人類はかなりの進歩を遂げました。さらに、そうした経験を通して、五感が及ぶ範囲を少し超えたところや、私たちが気づいている世界に直に接している、知ることが可能な現象があることを、多くの人が認めるようになりました。そうした現象の中には、近年科学的に立証されたものもあります。たとえば、地球上の磁力線の変化を記録する脳の能力によって、生まれながらに方向感覚を備えている脳の領域が特定されました。また、体内の微妙な状態を感知する、体内の触覚のような感覚の存在も確認されています。経験を積んだヨガの実践者はこの能力を用いて、意図的に心拍数を下げたり、体温を上げたりすることができます。別の例には、記憶や通常の感覚的な手段に頼らずに、直観という能力を用いて情報を得ることがあります。
このような現象やこれと類似の現象の調査は、一般に超心理学と呼ばれる研究分野に属するとされています。超心理学は、1960年代から70年代に広く注目されるようになりました。テレパシー、予知、サイコキネシス、遠隔視などの五感を超えたところに及ぶ意識の能力を研究する学問です。これらの現象は、従来の科学の方法では検証されていませんが、人類が何千年もかけて世界中で蓄積してきた経験が、その存在を裏付けています。
人間の五感を拡大するさまざまな手段は、私たちが世界をどのように体験するかに大きな影響を与えてきましたが、一方で、人間の体験に変革をもたらす無限の可能性を秘めている、意識を拡張する主要な取り組み方法には、まだほとんど調査が行われていません。私たちの生き生きとした経験に基づけば、文字通り目に映るものではない、それ以外のものが存在していることは明らかです。私たちの中には、誰もが見たり触れたりできる部分が存在する一方、五感を用いるのでは認識もできなければ測定もできない部分が存在します。人類は、前者の領域、つまり肉体と、肉体と共にある、五感に現れている物質的な世界を広く研究し続けていますが、形がないように思われる領域、つまり私たちの心にはそれほど関心を払ってきませんでした。
神秘学の観点から見ると、自分の心について深く考察する能力は、人間の意識が持つ重要な長所です。動物や植物が意識を持っており、生き残りや快適さに役立てていたり、意思決定能力さえ示したりすることは広く知られていますが、人間の、自分の意識のあり方と性質を深く考えるという能力は、人間だけのものであるように思われます。この能力は、他の生物種に見られる、自己を個体だと単に理解する能力よりも高度な自己意識の表れです。
しかし、自己の非物質的な側面を熟考する人間の能力は、一般に見過ごされており、この能力の利点が十分に理解されていません。ほとんどの人の目覚めているときの心は、他の生きものと同じ関心だけに向けられており、食べ物を探す、交配する、身体にかかわる不快さや脅威を避けるなどといった生理的な必要を満たすことに集中しています。また、差し迫った必要に迫られていないときには、過去の出来事を思い起こしたり、今後のさまざまな可能性を考えたりすることに心の大部分を費やしていることも、実際の経験から知られています。これらの思考を分類すると、主に自分自身、自分の子孫、他の人々のために、より周到なやりかたで、物質的に必要なものを確保することに、思考の大部分が関連していることが明らかになります。
人類は、物質世界の性質に対する意識を拡大することによって大きな進歩を遂げてきましたが、それと同じくらい重要なことは、「意識を意識する」ことです。心の内容は絶えず変化していますが、意識自体は変化しません。私たちの心の内容は、子供の頃とは劇的に変化しています。それにもかかわらず、私たちは生涯を通じて、知覚作用の同一の中心から世界を体験しています。私たちの環境は変わるかもしれませんし、服装も住む場所も、肉体も名前も変わるかもしれません。しかし、心の所有者、世界を見ている目の背後にいる「見る者」は変わりません。たとえ死んでも変わることはありません。臨死体験の報告によれば、体の機能が停止した後も、同じ認識の起点が続いています。意識は不動の対象です。
意識そのものを意識するということは、私たちが人生と呼んでいるこの夢に参加しながら、一時的に目を覚ましておくということを意味します。これを〈明晰な意識〉(Lucid Waking)と呼ぶことができます。夢を見ている間に、夢の状態にあることを意識している夢を明晰夢(Lucid Dreaming)と呼びますが、〈明晰な意識〉はそれに対応しています。〈明晰な意識〉によって私たちは、仕事、家族、友人などの問題への没頭から離れることができ、存在の神秘へと入っていくことができます。
〈明晰な意識〉の入り口となる鍵は、以下のような状態をしっかりと心に留めておくことです。たとえば、満天の星空を見上げ、自分は宇宙の数多くの星のただ中で生きているのだと実感し、「私はどこにいるのだろう」、「私は一体何者なのか」、「私はなぜここにいるのか」という〈宇宙的〉な疑問に、しばらくの間、呆然と立ちすくむような状態です。〈明晰な意識〉とは、自分が存在していることを実感することです。つまり自分自身が、私たちが宇宙と呼んでいる壮大な現象の一部であるということを実感することです。
神秘学を学ぶ人にとって、〈明晰な意識〉とはまた、私たちが見ているものや体験しているものすべての根底にある〈無限の知性〉(Infinite Intelligence)に、自分も参加していることを心得ていることです。〈明晰な意識〉とは、自分が、始まりも終わりもない何かの一部であるのを理解することです。〈明晰な意識〉とは、単に存在すること、これまでも常に存在しており、今後も存在することです。〈明晰な意識〉とは、私たちが、時間を超えて存在し永遠であるものの一部であることに、安らぎを見いだすことです。
人間という存在の無限である側面に焦点を当てることによって、多くの人が神とか創造主と呼んでいる〈宇宙の知性〉と自分の関係についての、新しい意識の扉が開かれます。私たちは、大宇宙(マクロコズム)と小宇宙(ミクロコズム)との間の、脈動するつながりを体験しています。このつながりが〈無限の知性〉と、無限に小さく感じられる自己の間をつないでいます。
明晰夢を見る能力を発達させるためのテクニックがあるように、〈明晰な意識〉を発達させる手段があり、それを用いることができます。しかし、この手段を用いる際には、自分個人の心の構造である精神が、意識の拡大に徐々に慣れていくために、ゆっくりと行っていくことが重要です。〈明晰な意識〉とは、自分がこれまでは圧倒されると感じていて理解ができないと感じていた「未知なるもの」に向かって移動する、現実的な枠組みを加えることを意味します。たとえば、無数の星々で埋め尽くされた広大な夜空が示す「未知なるもの」に、じっと向き合うことで得られる畏敬の念に圧倒されたことはないでしょうか。その光景に強い感動を覚えながらも、多くの場合に私たちは、その光景とそれが含む未知の意味について考えるのは止めて、慣れ親しんだ日常生活について考えるという心地良さへと戻っていきます。しかし、既存の精神の限界と感情の限界を、定期的に穏やかに拡張していくことによって、未知なるものに向き合うことを長く続ける能力を作り上げていくことができます。この訓練は、ウエイト・トレーニングでゆっくりと体力を増強することによく似ています。あまりにも急に重い重量を持ち上げようとすると筋肉を痛める可能性がありますが、適切な休息をはさみながら少しずつ重量を増やしていくことで、着実にかつ安全に能力を高めることができます。「革命ではなく進歩が、永続的な変化をもたらす」というバラ十字会の格言は、この作業に特に当てはまります。
〈明晰な意識〉を促す方法の核心にあるのは想起です。それは、あなたが存在しているということを思い出すことです。そのための一つの方法は、目を開けたままで、「私はある」、「私は存在する」、または同じ意味を持つ簡単な言葉を心の中で繰り返すことです。ろうそくの炎を遠くから見つめることも、「自分が存在すること」を思い起こさせるイメージとして役立ちます。この実習を行っている間は、どのような内容についても考えないようにしてください。何かについて考えると、他の思考に条件付けされずに純粋な意識の中で時を過ごすという、この実習の目的から遠ざかってしまいます。意識が心を占めているということを除いて、心が「空っぽ」であることが重要です。必ずと言っていいほどそうなりますが、何かの考えが侵入してきたときには、ただ単に、意識に集中することに戻ってください。この実習を5分から10分ほど続けたら、あなたが自分に最も適していると考えている瞑想法に移るか、普段の活動に戻ってください。
世界で起こっている出来事のニュースを見たり聞いたりするときは、どんなに気がかりなことであっても、すべては創造主の意識、すなわち宇宙意識の中で起こっているのだということを思い起こしてください。達人イエスはこう言っています。「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている(『マタイによる福音書』10:29-30)」。また、『使徒行伝』(17:28)には、「私たちは神の中に生き、動き、存在しているからです。」とあります。これらの言葉の真意には、宇宙意識を体験した人たちが報告している、宇宙意識の特徴の一つが表されています。つまり、あらゆる現実には、創造主の知性が瞬間瞬間に実現しているということが表されています。
意識に集中するための別の方法は、目を見開いて、次の問いを心の中で自分自身に問いかけてみることです。「なぜ何もないのではなく、何かが存在するのだろうか」。この方法の意図は、この問いに答えることではなく、それについてじっくりと考えることです。この問いの中に深く沈んでいってください。あなたが存在していないのではなく、存在しているということを、自分自身に思い起こさせてください。時間の外側にあって、始まりも終わりもない永遠の中にある、自分の居場所を、少しの間感じてください。自分が存在していることを、ただ、実感してください。この方法を、あなたが心地良いと感じるかぎり繰り返して、あなたの心を、意識に集中した状態に何回も連れ戻してください。
自然の中でのさまざまな体験によって、意識の高揚した状態がもたらされ、私たちは宇宙の中で自分がいる場所を考えるように導かれます。満天の星空、美しい夕日や朝日、壮大な山の眺めなどの環境に身を置く機会があったときには、あなたの存在や活力が高められた感覚が現われた瞬間をとらえて、その感覚に留まるようにしてください。その感覚が薄れてきたら、それを初めて体験したときに伴っていたのと同じ思い、あるいは類似した思いとともに、その感覚を再び呼び覚ますようにしてください。この方法を何回か繰り返したら、瞑想によって意識を心の内側に向けるか、通常の活動に戻ってください。別の機会が訪れたときにも、この実習を繰り返してください。
上に示した方法や、あなたが独自に考えた同様の方法によって、拡大された現実に、自分の意識を慣れさせることができます。〈明晰な意識〉に意図的に向かおうとする旅において、最初は、心がそれに抵抗するのを経験するのは普通のことです。私たちの心は、子供のころから築き上げてきたバージョンの現実に固くしがみついています。そして、そのバージョンの現実によって、私たちは不安を軽減しながら、意識が体験していく出来事を乗り切ることができます。自分が作り上げた世界観を否定する証拠を繰り返し突き付けられていても、私たちが自分の世界観に固く執着するのはそのためです。しかし私たちは、心から排除してきた現実の要素を心に組み入れる実習を通して、認識の境界をゆっくりと広げることができます。それと同時に、この実習では、意識の拡大によって引き起こされるかもしれない恐怖を軽減する現実の要素を心に加えます。
たとえば、多くの人は、肉体の死は避けられず、死には比較的切迫した性質があるということについて、意図的に考える時間を費やすことが、生涯を通じてほとんどありません。例外はといえば、不慮の死が起こるのを避けるために、折々に何らかの選択を行う場合だけです。臨死体験の調査によって示されている、肉体の死を超えて意識が継続するということや、生まれ変わりを支持する科学的な証拠について読むことは、肉体の死という馴染みがないように感じられる未知の要素を心に取り入れることに役立ち、また、死の時点を超えて意識が継続することを確認するのに役立ちます。ルイ・クロード・ド・サン=マルタンの次の言葉はそれをよく表しています。「もし死の間際に、この人生が幻想であると理解するのなら、なぜ今はそうでないと考えるのか。物ごとの本質は変わらない。」
さまざまな種類の瞑想が、これまでに挙げた実習を補ってくれます。瞑想は、肉体的な感覚が心を強く支配する傾向を徐々に緩め、五感によってもたらされる印象によって通常は埋め尽くされている現実の他の側面に、心を同調させることができます。瞑想によって、心を内面に向けることができ、知っているものごとではなく、〈知る者〉に意識を集中することができます。
短い言葉で言うならば、意識はソウル(Soul:魂)の持つ性質であり、ソウルは、宇宙の知性が延長されたものであるため、意識は自己の核心です。ルイ・クロード・ド・サン=マルタンの次の言葉は、意識を研究する価値を指摘しています。「神は意識という扉から自体の外に出て、人間の魂に入る。人間は意識という扉から自身の外に出て、理解の中に入る」。
それ自体が貴重な贈り物である私たちの意識を、大切にし、育んでいきましょう。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。
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第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について