投稿日: 2021/12/10
最終更新日: 2023/02/15

アマンダ・ヴァン・ヴーレン

宇宙意識の体験は、言葉で言い表すことのできる範囲を超えている独特な瞬間です。魂が高揚して肉体という住まいから脱し、無限なる〈創造主/神〉とひとつになります。

 さまざまな人々が、宇宙意識という極めて重要な体験について述べています。その本質を言葉によって捉えることは難しいのですが、体験した人の中には、そのような瞬間にもたらされる、圧倒されるほどの強烈さと喜びを、何とかそれに近い言葉で伝えようとしてくれている人がいます。そのような人の報告に、明確に述べられているのですが、もたらされた人にとってそれは、自身の人生で最高の体験になります。完全な喜びと知識と命の明るい光の中で、あらゆる苦悩、葛藤、アンバランスが消え去ります。

宇宙意識を、このように究極まで純粋に体験することは、ほとんどの人にとって、達成できる範囲を超えた事柄です。しかし、私たちは誰でも、ある程度であれば宇宙意識を体験することができます。日常を超えたように感じる瞬間、つまり、心が高揚して我を忘れ、穏やかさと喜びを感じる瞬間を、ほとんどの人がときおり体験しています。このような体験は、人生が輝く瞬間であり、強烈な幸せを感じる瞬間です。それは、儚く、束の間の体験であり、本物の宇宙意識には、強烈さも喜びもはるかに及ばないのかもしれませんが、それでも、宇宙との合一に見いだされるような忘我の喜びを、しばし垣間見た瞬間であると言うことができます。

また、とても幼いときにそのような瞬間を体験したため、大変な努力をしなければ、その瞬間を思い出すことができない人もいます。しかし、その体験の名残は、下意識にいつまでも残されており、そのため、今までに知り得たいかなるものよりも、さらに偉大な何かが、おそらく存在すると考えるようになります。

この体験がもたらす意識の明晰さと〈光〉は、狂ったようなスピードで営まれる日常生活の中で、あまりにもしばしば失われてしまい、さまざまな活動と所有物というがれきの下に埋もれてしまいます。ソウル(魂)は俗世のがらくたの下で、重荷を背負い、押さえつけられています。日中の大部分の時間に私たちが従事している種類の活動は、心の深奥にとって重要な体験とは、わずかしか似ていないか、全く無関係です。しかし、日常の経験の範囲を超えることを熱望している人間の心の内側には、何かが存在しており、時折ではあっても、無限の存在を垣間見ない限り満たされることはありません。多くの人が、裕福で成功しているにも関わらず、不安を感じ不満を持ち続けているのは、おそらくこのことが原因のひとつでしょう。私たちは宇宙意識と接する喜びを得たいと考えていますが、あまりにもしばしば、それを見いだすための方法を忘れてしまっています。

しかし、宇宙意識と接する喜びは、それほど手に入れ難いものではありません。超越の瞬間は、普通は自然発生的に始まるのですが、そのような体験が起こりやすくなるような状況や心の状態を整えることができます。前もって必要とされる事柄は、人によって異なることもあります。しかし、ほとんどの人は、これからご説明する条件を満たすことで、意識が高度な水準に上昇した体験を得る可能性を高めることができます

瞑想という静かな時間

Quiet Moments of Meditation

 私たちがどれほど多くの責任を抱えているとしても、あるいは日常生活がどれほどあわただしいとしても、十分に強く望みさえすれば、静かな場所に一人でいられる機会を、わずかなりとも見つけることができます。この時間を使って、あなたの心を乱している思考、計画、アイディア、記憶、憤り、欲望を、できる限り心から追い出して、心を空にするようにすれば、私たちは心を開いて、宇宙とひとつになる喜びに満たされる可能性を高めることができます。

東洋のある地域では、多くの人々は、一日の始まりに祈りと瞑想を行わずに、その日の活動を始めようとは夢にも思いません。勤勉で忙しすぎる西洋では、朝の一時は「一刻を争う」時間であり、まさに「早起き鳥は虫にありつく」(早起きは三文の得)のであり、いつでも「跳び起きて出かけ」なければならない時間です。ですから、定期的に心を若返らせる必要が人間にはあるということを理解し、人生はいかに生きるべきかという考えの中に組み込むのは望ましいことに違いありません。

競争社会の重圧のもとでは、心に押し寄せる、がらくたのような多数の思考や心配事を取り除くのは難しいことです。しかし、瞑想を練習すると、心に渦巻く印象の嵐をかなり小さくして、台風の目のように静かで視野の広い心境に達することができます。そこでは、つかの間ではありますが、調和の波がゆっくりとあなたに浸透していきます。そして、ことによると、幸運に恵まれれば、宇宙意識のほとばしりの中に、なだれ落ちるように入っていくことさえあるのです。

音楽を活用する

Music

 人間が作り出したあらゆる創造的な芸術の中でも、音楽は天界の無限の調和に最も近いということが、しばしば言われています。イギリスの小説家、オルダス・ハクスリー(1894 – 1963)は、このことをとても短い言葉で表しています。「表せぬことを表す。その成功に最も近づいたのは、沈黙を別にすれば音楽である」。

天才と言われる作曲家の幾人かは、「自分は何一つ作りだしたことはない。心の中で聞いた音楽を単に書き留めただけだ」と力説しています。すでに存在しているけれども、普通の人は聞くことができない音楽を聞く能力が作曲家にはあるということが、主な違いなのでしょうが、作曲家という人たちは、まるで普通の人とは違うようにさえ思えるほどです。おそらく作曲家は、ラジオのように、他の機器では受信できない波長に同調することができるのでしょう。それでも私たちは、音楽という手段を通じて、宇宙の統一を示す響きである荘厳な旋律を聴くことができます。この理由から、音楽を聴くことによって神秘体験に導かれることがあります。音楽とともに私たちの魂が飛翔し、崇高な調和の世界と融合します。

自然と交わり共感する

Communion With Nature

 人類が誕生して以来ずっと、自然界との関わりの中に人間は、〈無限〉を見いだそうとしてきました。人間よりも低位だとされることがある種類の生命である、鉱物や植物や動物には、人間のような意識や知性はありませんが、万物の根源に人間よりも近く、あるがままの状態で、また本能的に、万物の統一と結びついています。

はるかな古代より、預言者や賢者は山に登り、森に分け入り、あるいは砂漠の中で、この結びつきに近づこうとしました。現代においても、この統一と再び同調して宇宙の喜びの流入を受け取るための環境を、私たちもまた、しばしば自然の中に見いだすことができます。アメリカの作家ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817 – 1862)は、洞察力が鋭く、明晰な表現をする自然の研究家でした。彼は雑誌に次のように記しています(1857年1月7日)。

「しかし、遠くの森や草原に行き、芽吹いたばかりの地味な草地や、ウサギの足跡のある牧草地に一人でいるとき、(中略)私は本当の自分に戻れる。自分が自然と見事につながっていることをもう一度感じ、自然のよそよそしさと寂しさが私の友となる。(中略)そして私は、余分なものを始末し、すべてをあるがままに見て、その崇高さと美を理解する」。

私たちは、天から与えられた好奇心と知性を用いて、価値ある物事を多数なしとげ、豊かさを実現してきました。しかしそれと引き替えに、自分と万物を結びつけていた、生まれながらの本能の多くを失ってしまいました。そのような本能は、私たちを無限なる〈創造主/神〉へと結びつけているへその緒であり、もしそれがないとすれば、私たちは何の意味もない達成という名の海を漂流しているようなものです。それゆえに、財産と権力という人工的に作られたものの真っただ中では、疎外感と絶望が蔓延するのです。宇宙意識という特別な瞬間が、私たちには何としても必要です。たとえまれにしか起きず、束の間のことであっても、その瞬間は、永遠なるもの、すなわち秩序ある統一を思い起こさせてくれます。そして私たちひとりひとりは、この統一体の重要な一部なのです。日常を超越し意識が拡大する宇宙意識の瞬間を体験するとき、私たちの創造力は強められ、人生に豊かさが加えられます。それは、探求する価値が十分にある瞬間です。

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