投稿日: 2022/08/15
最終更新日: 2023/01/11

セルジュ・ユタン(Serge Hutain)

イタリアのシエナ大聖堂の床にある、象嵌のモザイク画に描かれているヘルメス・トリスメギストス
イタリアのシエナ大聖堂の床にある、象嵌のモザイク画に描かれている
ヘルメス・トリスメギストス

伝説上の起源

Legendary Sources

錬金術師たちは、錬金術に呪われた起源があるという言い伝えを受け入れることを特にためらっていませんでした。彼らは、ギリシャの有名な錬金術師ゾーシモス(Zosimus)の語った次の言葉をたびたび引用していました。「太古の聖典によると、女性へのあふれるほどの欲望を抱えた天使が幾体か地上に降りてきて、女性たちに自然の営みについて教えた。この行為が理由で彼らは天から追い出され、永久追放の身となった。この交わりによって巨人族が生じた。彼らが錬金術を教えるために用いた書物は『シーマ』(Chyma)と呼ばれた。これ以降、あらゆる技法の中で最高の技法である錬金術を表すために『シーマ』という言葉が用いられるようになった。神の子たちは、人間の娘たちが美しいのを見て、その中から自分たちの妻を選んだ」。錬金術は邪宗にかかわる呪われたものであるというこのような見方には、知恵の木(訳注)の果実が人間の堕落の原因となったという旧約聖書の逸話の影響が見られます。金属を抽出し製錬していた人たちを、太古の人たちが魔術師のようだと考えていたことと、知恵の木の逸話を比較対照してみてください。ゾーシモスはまた、古代エジプトの神官だけに最初は知られていた「神聖な技法」が、どのようにしてユダヤ人に明かされ、さらに世界の他の場所に伝えられていったのかを語っています。

(訳注:知恵の木(Tree of Knowledge):知識の木(樹)、善悪を知る木。創世記の逸話に登場するエデンの園の中央にある木で、その果実を食べると善悪を判断することができるようになる。アダムとイブは神から禁止されていたにもかかわらず、この実を食べたために楽園を追放された。)

ヘルメス・トリスメギストス

Hermes Trismegistus

錬金術師の多くは、自分たちがある神聖な存在の守護のもとにあると考えることを好んでいました。その存在とはヘルメス・トリスメギストスです。ヘルメス・トリスメギストスはギリシャ語で「三重に偉大なるヘルメス」を意味し、彼が錬金術やさまざまな学問の発明者だと考えられていました。錬金術でヘルメスの守護が祈願されていたことから、この技法は「ヘルメスの術」(Hermetic art)とも呼ばれるようになりました。古代エジプトのトート神(Thoth)は、神々の書記であり知恵の神でしたが、ギリシャ人は自分たちのヘルメス神とトート神を同一の神であると見なしました。トート=ヘルメス神は、伝統知識を保持し伝える者であり、古代エジプトの神官たちを具現化した存在でした。いえそれどころかトート=ヘルメス神は、人知を超えたインスピレーションの具現化であり、神官が権威を維持するよりどころとなり、神官たちはトート=ヘルメス神の名のもとに秘伝の知識を体系化し、後の世代に伝えました。また注目すべきことに、ヘルメス・トリスメギストスのことを実在の人物であり、学問と文字を発明した聡明な古代の王であると考えていた錬金術師もいます。

心理学的な起源

Psychological Sources

あらゆる秘伝的な教義に共通することですが、錬金術は人間の憧れや、願望や、魂が性質として持つ傾向を満足させる教義にあたり、人間が生まれたときから持っている思考プロセスに従った教義でもあります。そのため、錬金術の象徴システムに対して心理学的な研究を行うことが可能です。

錬金術の文献では、古代宗教の神話から受け継いだ男性性と女性性という二元的な要素について広範囲で詳しい解説がなされていて、次のような表がたびたび登場します。

男性 - 女性
精液 - 月経
能動的 - 受動的
形相 - 質料
魂 - 肉体
火 - 水
熱気と乾燥 - 冷気と湿気
硫黄 - 水銀
金 - 銀
太陽 - 月
パン種(酵母) - 発酵させていない生地

正反対の性質を持つ2つの要素はすべて、男性原理と女性原理という観点で基本的には把握することができます。「偉大なる作業」(Great Work)という別名を持つ錬金術は、男性的な要素である硫黄と、女性的な要素である水銀との結合であるとされています。そして、錬金術の書物の著者たちはそれぞれ、性的な結合と発生に関する用語から借用した対照的な要素を自説に付け加えています。しかし錬金術のことを、男性原理と女性原理の対比を強調する思想であると単に見なすとしたら、それは行き過ぎた単純化になることでしょう。錬金術の達人は、〈火〉などの古代のあらゆる象徴を重要だと考えていました。たとえば、「フィロゾファス・ペル・イグネム」(philosophus per ignem)という言葉は、「火とともにある哲学者」という意味であり、深い哲学的な意図を持っている錬金術師を指すのに用いられました。そのため、「アルス・マグナ」(訳注)と呼ばれることもある錬金術の文献を検討すると、さまざまな象徴の本質的な意味を見いだすことができます。ユングが著書『心理学と錬金術』で行ったのは、まさにこのことでした。ユングは古い錬金術の文書から豊富な例を挙げて、それらと、幻視や夢との間に著しい類似があることを示しました。ユングは錬金術のことを、永遠の光の輝きを束縛から解放することを目指す「救済の方法」であると見なしています。この光は、物質から構成されている日陰のような世界に降下してしまったのです。彼はこう書いています。「キリスト教の書物は、『救世主としての神』の栄光のために救済を必要としている人たちのオペラのようなものであったが、一方で錬金術の書物は、物質の世界でまどろみつつ救済を待っている、神と同じ性質を持つ普遍的ソウル(Universal Soul:宇宙の魂)を解放するための『救済者である人間』の努力であった」。この言葉には、〈偉大なる技法〉の究極の目的と、錬金術の達人たちのはやり立つ野望を見て取ることができます。錬金術の達人たちは神の性質そのものを救う人になろうとしていました。

(訳注:アルス・マグナ(Ars Magna):「偉大なる技法」を意味するラテン語。主に15世紀と16世紀に用いられた錬金術の別名。)

歴史的起源

Historical Sources

錬金術は東洋でも実践されていましたが、西洋とはやや異なる表現や技法を用いていました。

伝説によると、中国の人々はすでに紀元前4500年ごろから錬金術の実践を行っていました。その後、老子(紀元前6世紀ごろ)が開祖である道教の信奉者たちが中心になって、錬金術と同種の研究が3世紀に始められました。道教では、陽(Yang)と陰(Yin)が互いに補い合う2つの原理であるとされています。男性的な原理である陽は、光、熱、能動性であり太陽に備わっている性質です。女性的な原理である陰は、闇、冷気、受動性であり大地に備わっている性質です。すべてのものは、この2つの原理の闘争と再統合として説明することができます。最初に、生命力であり軽くて精妙な「気」が存在し、そこからすべてのものが生じます。次に、陽と陰の相互作用によって5つの元素(水、火、木、金、土)が生じ、そのさまざまな組み合わせによって自然界の生きものが生じます

このことを前提にして、中国の錬金術師は、「賢者の石」(Philosopher’s Stone:哲学者の石)と不死を得るための全体的な方法、そして、すべての人間を高度な完全性へと上昇させるための全体的な方法を考案しました。

インドにもまた錬金術のような思想体系があり、そこからヒンドゥー教とタントラ仏教の秘伝哲学の学派が生じました。しかし東洋の錬金術に関しては、詳細がいまだに解明されていないので、この記事のこれ以降は西洋の錬金術だけを扱うことにします。ヨーロッパの思想の歴史には錬金術が重要な役割を果しており、専門の研究家が、関連する資料を比較的容易に入手することができるからです。紀元後の最初の数世紀の間に、エジプト、特にアレクサンドリアにおいて錬金術が発展しました。ヘレニズム時代(訳注)に哲学と宗教に混合が起きたことが影響し、医者や冶金学者の実践的な知識が結びついたためでした。その後錬金術はビザンチン帝国(東ローマ帝国)に伝えられ、さらにアラブの人たちに伝わっていきました。

(訳注:ヘレニズム時代(Hellenistic times):古代エジプトの文化と古代ギリシャの文化が混合した時代。アレクサンドロス大王の東征(紀元前334年)または彼の没年(紀元前323年)からローマのエジプト併合(紀元前30年)までを指す。)

それより以前の、ギリシャの錬金術の起源についての研究は、信頼に足る証拠が乏しいために困難ですが、ローマ帝国の終わりごろのディオクレティアヌス帝の治世(西暦284年~305年)のときに、錬金術についての最初の公式な言及が見られます。ディオクレティアヌス帝は金や銀を作ることを扱っているエジプトのすべての書物を破棄するように命じる布告を出したのです。しかし、それらのエジプトの書物には後の世に伝えられたものがあり、そのいくつかはこの時代の錬金術の発達に重要な影響を及ぼしており、4世紀よりも前の錬金術の歴史をある程度は遡ることができます。

エジプト

Egypt

エジプトが「聖なる技法」(訳注)の発祥の地であるということは、ヨーロッパの錬金術師たちの間の一致した意見でしたが、そう考えられた主な理由は疑いなく、エジプトの神官たちの秘伝的な知識が、錬金術の誕生に重要な役割を果したからです。アレクサンドリアの錬金術の文書には、古代エジプトの宗教文書に見られる特徴がいくつもあります。しかし、ヘレニズム時代にはこの地に、さまざまな思想が洪水のように押し寄せていたので、古代エジプトから影響を確定するのは困難なことです。

(訳注:聖なる技法(Sacred art):錬金術の別名。)

カルデアとイラン

Chaldea and Iran

バビロニア(訳注)は、錬金術や占星術に関連するさまざまな事柄に、極めて重要な役割を果たしています。またイランでは、原初の人間(カバラにおけるアダム・カドモン)に関連するさまざまな神話や伝説が再構成され、そこから錬金術は大きな影響を受けています。原初の人間は死んだときに四肢をばらばらにされ、そこからさまざまな金属が生じたとされています。

(訳注:カルデア(Chalda):古代バビロニア(下記)の南部地方。)

(訳注:バビロニア(Babylonia):チグリス川とユーフラテス川の間の土地は、ギリシャ語でメソポタミア(Mesopotamia)と呼ばれた。メソポタミアは四大文明が発祥した土地のひとつであり、現在のイラクの首都バグダート付近を境に、その北部がアッシリア、南部がバビロニアと呼ばれる。)

ヘブライとギリシャ文化の錬金術への影響

Hebrew and Greek Sources

エノク書や他のユダヤの終末論の著作などの錬金術の著作には、ヘブライ人に伝えられていた数多くの説話が含まれています。古代ギリシャに由来する教えに関して言えば、さまざまなギリシャ哲学(ソクラテス以前、ストア派など)の知識を錬金術師たちは取り入れていますが、その多くは、アレクサンドリアの新プラトン主義の思想家やヘルメス思想家を経由して受け取ったものです。

多神教とキリスト教グノーシス派

Pagan and Christian Gnosis

ギリシャの錬金術は、混乱した興味深い時期であった3世紀に出現したと思われます。この時期のあらゆる教義は、啓示(gnosis:グノーシス)から得られる救済と純粋さと知識を切望していました。そして、この時期の人々の本質的な傾向であった豊かな感受性が、それらの教義に満ちあふれていました。

「(前半略)確信と啓示に対する願望、秘伝的なものを好む傾向、抽象化を好む傾向、魂の幸福に対する切望、魂の幸福との関連で世界について考察する健全な傾向と、世界との関連で魂の幸福を考える健全な傾向。曇った鏡をのぞき込み自分自身を見ている者は、自分自身を見ることさえもない他の多くの人間と自分が異なることをよく承知している」。アーサー・ダービー・ノック(訳注)

(訳注:アーサー・ダービー・ノック(A. D. Nock):英国の宗教史学者。ハーバード大学教授。1902~1963年。)

正統派のヘルメス思想は、多神教のグノーシス派(訳注)という特殊な思想ですが、極めて多様な内容を扱っている多くの文献が存在します(占星術、他の秘術、半哲学-半宗教的な理論など)。グノーシス派は、知識は必ず啓示(神の意志による開示)として得られるものであり、人間自らが発見する知識は認められないとしていました。ノックによれば、エジプトの信仰がギリシャ文化の枠組みの中に入りギリシャ文化の影響を受けたとき、トート神はその伝統的な役割を維持していましたが、そのギリシャ版であるヘルメス神の名のもとに、新しいギリシャ語の著作が数多く作られるようになっていきました。特に2世紀以降はヘルメス文書が著しく増加しました。新プラトン主義者のイアンブリコスは、『エジプト人の秘儀について』で、ヘルメス・トリスメギストスのものとされる文書は2万巻を超えていたと述べています。占星術や他の占術などを含むヘルメス文書の中でも、「ヘルメス叢書」(Corpus Hermeticum)という題が付けられた半哲学半宗教的な一連の著作が特に注目に値します。これらの文書には神(ヘルメス、イシス、ホルスなど)が登場して、その間に一連の対話が交わされます。そこで扱われているのは、創造主の性質、世界の起源、人間の創造と堕落、救済の唯一の方法としての神の啓示などです。これらの著作は17世紀まで常に注目を浴び、注釈が付け加えられていきました。しかし、ヘルメス文書と、中世やルネッサンス期の錬金術哲学の関係には問題が提起されています。

(訳注:グノーシス派(gnosticism):グノーシス(gnosis)はギリシャ語の「知識」にあたるが、特に神秘的直観によって得られる英知を指す。グノーシスを重視する神秘学的宗教にあたるグノーシス派は、古典ギリシャ期(紀元前479年頃~紀元前338年頃)の後期に発生した。後にキリスト教に影響を与えキリスト教グノーシス派が西暦1世紀に生じ、キリスト教会により異端とされた。)

アレクサンドリアの新プラトン主義の学派も、錬金術の進歩に大きな影響を与えました。後期の新プラトン主義は、ヘルメス思想と神秘哲学的な宗教の影響を受けて、正統派哲学ではなく、多神教のグノーシス派という様相を取るようになっていました。

アレクサンドリアに多数いたキリスト教のグノーシス派の人たちもまた、錬金術の進歩に重要な役割を果たしました。壮大で混乱したイメージによって、宇宙の神秘、世界の本質と終末、神の顕現、善と悪との永遠の闘いについて、入門者たちに知識を伝授しようとするグノーシス派の複雑なスタイルを、錬金術もまた用いていました。象徴や比喩的な表現を用いてベールに覆った形で、半哲学半宗教的な理論についての真の意義を教えるグノーシス派と、物質に秘められている性質を探究しその性質を象徴で表現している錬金術の教義は、極めてよく似ています。錬金術師は、グノーシス派の多くの象徴をたびたび用いていました。中でもウロボロス(Ouroboros:自分の尾を呑み込む蛇)の象徴は、多くの宝石や護符に刻まれています。

ギリシャの錬金術は、心の深奥に関する探究が人々を強く駆り立てていた時期に出現しました。ギリシャの錬金術には、当時の多様な外的影響と内的傾向が同時に作用していたことが示されており、そのインスピレーションにも同じ作用が表れています。ギリシャの錬金術は、エジプトの実際的な技法とギリシャ哲学、東洋の教えとアレクサンドリアの神秘哲学が混合した、極めて重層的な様相を示しています。東洋、ギリシャ、ユダヤ、キリスト教の要素の驚くべき混合は、ウイ(訳注)が述べたように、「アレクサンドリアの住民の状況が反映されたもの」でした。

(訳注:ウイ(Achille Ouy, 1889-1959):フランスの哲学者、社会学者。)

アレクサンドリアとビザンチン帝国

Alexandria and Byzantium

この時期の錬金術のほとんどの文献はギリシャ語で書かれています。それらは手書きの文書でしたが、その最も古いものは3世紀、最も新しいものはビザンチン時代の文書です。これらの文書は、4つのグループに分けることができます。

1.ヘルメス、イシス、善霊(Agatho-dermon)などの神々が書いたとされているもの。

2.ケオプス、アレクサンダー、ヘラクレイオスなどの有名な王が書いたとされているもの。

3.プラトン、アリストテレス、ヘラクレイトス、ゾロアスター、ピタゴラス、モーセなどの有名な学者が書いたとされているもの。

4.ゾーシモス、オリンピオドロス、シネシウスなど、著者が実際の人物として私たちに知られているもの。

アレクサンドリアの錬金術師

Alexandrian Alchemists

1617 年に出版されたミハエル・マイヤー著『黄金の卓の象徴』に描かれている有名な女性錬金術師であるユダヤ人のマリア
1617 年に出版されたミハエル・マイヤー著『黄金の卓の象徴』(Symbola Aurae Mensae)に描かれている有名な女性錬金術師であるユダヤ人のマリア。彼女は「預言者マリア」、「モーセの姉妹」などの名前でも知られている。しかしバラ十字の伝統では「グノーシスの伝統のマリア」の名のほうが良く知られている。

西暦4世紀の最初から最後まで、アレクサンドリアでは錬金術が栄えました。錬金術は最初から真に神聖な技法とされ、庶民の目からは遠ざけられていました。また、特に4世紀の終わりごろから、アレクサンドリアの教会の聖職者たちがますます寛容さを失っていくにつれて、少数の者にしか伝えられないという錬金術のこの性質はさらに顕著になっていきました。

アレクサンドリアの錬金術師たちには、さまざまな宗教(キリスト教、ユダヤ教、多神教)の人がいましたが、高度な神秘思想を共有しており、とてもよく似た神秘哲学の信念を告白していました。この時期には、女性も重要な役割を果たしていました。ゾーシモス(Zozimus、4世紀初頭)はエジプトのパノポリス(Panopolis)の出身ですが、アレクサンドリアに住み、ギリシャの錬金術師の中で最も有名な人物であり、「哲学の帝王」として知られていました。彼は極めて多くの著作を書き、その多くが現存しています。

ユダヤ人の女性のマリアは、4世紀の人物であったと考えられています。彼女はケロタキス(kerotakis)を発明しました。これは、薄い銅の小片や他の金属を入れて、多様な組み合わせの蒸気の作用にさらす密閉蒸留器で、この蒸留法は今日でもバン・マリーとして知られています。エジプトの首都アレクサンドリアには他の女性錬金術師もいました。その中でも極めて有名なのはコプト教会(訳注)の信徒のクレオパトラ(Cleopatra)と、ゾーシモスの姉もしくは妹であるヘルメス思想の信奉者テオセビア(Theosebia)です。

(訳注:バン・マリー(bain marie):蒸留器の挿絵の解説を参照。)

(訳注:コプト教会(Coptic Church):エジプトにある古代からのキリスト教会。)

ワインからアルコールを蒸留するためにバルネウム・マリエが用いられている
パラケルスス著『天の哲学』(Coelumphllosophorum)の挿絵。ワインからアルコール(第5元素)を蒸留するためにバルネウム・マリエ(balneum Mariae)が用いられている。バルネウム・マリエは「マリアの浴槽」(Mary’s bath)を意味するラテン語であり、古代の女性錬金術師であるユダヤ人のマリアにちなんで名づけられている。ワインの入ったフラスコが熱湯の入った容器の中に置かれている。装置の上方では、冷水の覆いが蒸留器(冷却器)を取り巻いている。現在でも湯煎用の二重鍋は、フランス語ではベン=マリー(bainmarie)、イタリア語ではバーニョ=マリア(bagno maria)、スペイン語ではバーニョ=マリア(baño maría)と呼ばれている。

シネシウス(Synesius、4世紀終わり頃)という人物が、キレナイカ(Cyrenaica:現在のリビアの東部地方)のプトレマイス(Ptolemais)という土地の有名な司祭であったことはほぼ確実です。彼は新プラトン主義の女性ヒュパティアの弟子です。ヒュパティアはアレクサンドリアのキリスト教徒により415年に惨殺されました。オリュンピオドロス(Olympiodorus)は5世紀初頭の人物です。彼はアレクサンドリアの学校で教師をしていた歴史家であり哲学者で、言い伝えによれば、アッティラ大王(Attila)の元に大使として送られました。

ギリシャの錬金術のまとめ

Summary of Greek Alchemy

当時の社会環境と同様に、これらのアレクサンドリアの錬金術師たちの著作もまた、さまざまな思想が入り交じった興味深い混合です。その中には、忘我の状態で見たビジョン、器具や実験についての詳細な記述、錬金術の秘密を守るための読み手に対する頻繁な禁止命令などが混ざり合って含まれ、程度は様々ですが、グノーシス派の性質を持つ理論を見ることができます。錬金術師たちは、目的が異なる3つの行為を同時に追求して、〈偉大なる作業〉を成し遂げようとしていました。

1. 哲学者の石を発見して、卑金属を金(Chrysopoeia:クリソペイア)または銀へ(Argyropoeia:アルギュロペイア)変えること。

2. 万能薬(Panacea)を発見して、人間の寿命を無限に延ばすこと。

3. ㆟間の心が神に溶け込んだ状態である完全な幸福を実現すること、世界のソウル(魂)と一体になること、天使たちと交流すること。

これらが初期の錬金術の一般的な特徴でした。その後の展開は広い範囲に及んでいますが、本質的にはこれらの基本的な目的のバリエーションに過ぎませんでした。

ビザンチン帝国の錬金術

The Byzantines

錬金術は、アレクサンドリアからビザンチン帝国(東ローマ帝国)に伝わり、ステファノス、ガザのアエネアス(6世紀)といった人々によって精力的に研究されました。ヘルメスの術(Hermetic art:錬金術の別名)は、ヘラクリウス(Heraclius)皇帝の治世下では公的な支援を受けられるほどの扱いを受けていました。錬金術はその後、ビザンチン帝国で多かれ少なかれ迫害を受けるようになりましたが、それにもかかわらず存続していました。11世紀にはプラトン派の哲学者ミカエル・プセロス(Michael Psellos)が、錬金術から秘伝的な要素をすべて排除して、実際的で合理的な技術に変えようとしました。

ビザンチン帝国で、錬金術が多くの地域に広まったことは一度もありませんでした。錬金術がキリスト教を中心とする西洋世界に伝えられたのは、アラブの人々を介してでした。

アラビアの錬金術

Arabian Alchemy

アラブの人たちは錬金術に重要な貢献をしました。それは、錬金術(alchemy)、アルコール(alcohol)、アランビック(alembic:蒸留器、ランビキ)、エリクサー(elixir:万能薬、エリキシル剤)などの数多くのアラビア語が英語に取り入れられていることからもよくわかります。

錬金術はかなり早い時期からイスラム教の世界に浸透していました。アラビア語で書かれた錬金術の著作が数多く現存しています。言い伝えによると、7世紀前半にエジプトを支配していたウマイヤ朝のカリフのハーリド・イブン・ヤズィードは、アレクサンドリアに住んでいたローマ出身のモリアン(Morian)という名の隠者から錬金術を学びました。モリアンはアドファル(Adfar)という名のキリスト教の哲学者の弟子でした。しかし実際には、ギリシャ語の文書をアラブの人々に伝える役割を主に果したのは、アレクサンドリアの文化の中で生活していたエジプトのコプト教徒の学者たちでした。錬金術を実践していたのは、主にイスラム教の神秘哲学の学派の人たちでしたが、彼らはグノーシス派や新プラトン主義から強い影響を受けていました。コーランの正統派信仰を擁護する人たちの努力にもかかわらず、ギリシャから伝わった教義や文書はすぐにアラブ世界全体に広がっていきました。

イスラム教徒の錬金術師

Some Moslem Alchemists

15 世紀のヨーロッパで描かれたゲーベル(ジャービル・イブン・ハイヤーン)の肖像画
15 世紀のヨーロッパで描かれたゲーベル(ジャービル・イブン・ハイヤーン)の肖像画。フィレンツェのメディチ・ラウレンツィアーナ図書館所蔵(Codici Ashburnhamiani 作、1166 年)。

ジャービル・イブン・ハイヤーン(Jabir Ibn Hayyan、西暦720~810年)は、ヨーロッパではゲーベル(Geber)の名で知られていますが、ユーフラテス河畔のクーファ(Kufa)で生まれ、スーフィズム(訳注)の一派に属していました。彼は極めて有名な中世の化学者であり、王水、硫酸、硝酸などの新しい化学物質を発明しました。彼の最も重要な著作、『マギステリウム完成の梗概』(Summa Perfectionis Magisterii)はラテン語の翻訳書だけが残っています。

(訳注:スーフィズム(Sufism):イスラム教の神秘思想。)

930年頃に亡くなったとされるラーゼス(Al-Razi:アル・ラーズィー)は、錬金術を特に医学に応用しようとしましたが、最終的な彼の業績には錬金術の影響を見ることができません。

イブン・シーナー(Ibn Sina、西暦980-~1037年)は、西洋ではアヴィセンナ(Avicenna)の名でよく知られていますが、極めて広い範囲の学問を探究しています。地質学の分野の後の時代の発見のいくつかが、彼の著作で予見されています。彼は金属の変成のことを物質の本質的な変化ではなく、物質の部分的側面の変化だと考えていました。彼の最も有名な著作は、哲学と科学の百科事典である『治癒の書』(The Book of Healing)と、医学事典である『医学典範』です。『医学典範』は、中世の多くの大学で標準的な医学書となり、1650年まで使用されていました。

銀の花瓶に描かれたアヴィセンナ(イブン・シーナー)の肖像画
銀の花瓶に描かれたアヴィセンナ(イブン・シーナー)の肖像画。様式化された近代の作品である。ハマダーンのアヴィケンナ霊廟博物館所蔵

中世の錬金術師のアルテフィウス(Artephius)が、1120年ごろに処刑された詩人のアル・トゥライ(Al Toghrai)と同一人物であったことは確実ですが、彼を含むアラビアの錬金術師の中には、神秘哲学を深く信奉し、啓示と入門儀式を錬金術の基礎にしている人たちもいました。イスラム教の神秘家たちも錬金術を行っており、たとえばアル・ガザーリー(Al Gazali)は、人間の内面に関わる心の錬金術(訳注)を信奉し、物質を扱う錬金術の作業は完全に拒絶していました。

(訳注:心の錬金術(spiritual alchemy):錬金術が発展を遂げると、卑金属を貴金属に変成するという初期の目的から、人間の内面を卑しい性質から貴い性質に変容させるという目的に多くの錬金術師が移行していった。後者は心の錬金術、精神の錬金術等と呼ばれている。)

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