以下の記事は、バラ十字会日本本部の季刊雑誌『バラのこころ』の記事を、インターネット上に再掲載したものです。
※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。
見るという魔法
The Magic of Seeing
ジェームズ・ローレンス
By James Lawrence
風は吹き、止むことでしょう。海はうねり、やがて疲れて凪ぐことでしょう。
しかし生命の核心は強く澄みわたった球であり、その中にある星は永遠に輝き、そこにあり続けます。
カリール・ジブラン
◆ 目の前の光景をより深く「見る」という練習
ほとんどの人は、自分の心の中に存在する清らかさと真にひとつになる神秘的な体験をすることなく、一生を過ごします。それにもかかわらず私たちは、とても素晴らしい、崇高な動機に突き動かされている人に出会うことがあります。そのような人の中には、人道的な慈善活動に関わり、他の人の幸せのために自分個人を顧みることなく日々仕事をしている人もいます。
いわゆる「神秘体験」と呼ばれているできごとでは、すべてのものが関連していて普遍性を持つということが、突然荒々しく、短時間のうちに明らかになります。この体験によって、その人の人生は根底から変わり、すべての生きものに内在する重要さと完全さを理解するように導かれます。それは、すべての人とすべてのものに内在している完全性であり純粋性なのですが、それが知られることは滅多にありません。
しかし、最も深いレベルにおいて物事がどのようなものであるのかを知るという、この体験に恵まれたことがなくても、私たちはふだん目にする光景を、より深く見る訓練を自分ですることができますし、そうすることによって、いずれ起こる重大な瞬間のために、その下地を作っておくことができます。
どんな光景でもいいのです。咲きかけのバラ、堂々とした木、深い青色の空、黄金に輝く夕陽、かもめがゆっくりと輪を描きながら飛んでいる海……。さあ、その光景に一心に意識を集中してください。ほとんどの場合、始めはふだんと違うことは何も起こりません。しかしこの練習によって、あなたの目の前の光景をより深く「見る」ということが始まります。それは全身全霊で「見る」ということです。すべての感覚を鋭敏にして注意を怠らずに、目の前の光景に入っていきます。
◆ 完全にリラックスして、集中することに完全に身を委ねる
ふだん私たちは、必要な時でさえ、一瞬一瞬にすべての注意を集中することはありません。逆説的に思われるかもしれませんが、集中とは、歯を食いしばって何かを強く見つめることではありません。それとはまったく反対に、努力をしない練習なのです。完全にリラックスして、集中することに完全に身を委ねるということは、「あきらめた」かのように、つまり「よし、何も妨げずに、流れに従おう」と心の中でつぶやくといったようなことです。もしそのようにして、目の前にある光景に完全に心を集中することができれば、ある意味で「見る」ことを始めることになります。それは、ある種の四次元に入ったと表現するのが最も適切かもしれません。その光景は、もはや二次元のキャンバス上に現れるのではなく、私たちが知っている三次元の世界を超越する深みを得るようになります。そして時間は、いつもとはまったく異なったものとして体験されます。
すべてのものが驚異的であり重要であるという感覚が生じ、強烈な喜びを感じ、すべてのものが威厳に満ちていて限りがなく、「正しい」と感じます。「地球はあなたの栄光に満ちている」と詩篇(訳注)の作者は言っていますが、なんと素晴らしい真実でしょう。世界に起っているさまざまな驚異は、私たちが理解しているよりも偉大です。なぜなら、私たちはそれを毎日見ていながら、そのほとんどを見逃しているからです。
(訳注:詩篇(Psalm):旧約聖書の一書。古代ヘブライ人が神を讃えた詩150編を集めたものとされる。)
そのようなビジョンは、私たちに可能な範囲内にあり、機が熟した時に開示されます。なぜなら、私たちは創造者であり、生きている瞬間瞬間に自分の未来を創造しているからです。愛と思いやりの気持ちを込めて、誰かの役に立つ行いをするたびごとに、私たちは多面性を持つ、自身の心の奥のレベルを向上させています。私たちは、取り返しがつかないほど進歩が止まってしまったと感じているときでさえも、決して静止しておらず常に成長しています。もし私たちが宇宙とその法則を理解し、深遠なビジョンを得たいという心の中の切望に対して誠実であり続けるならば、自分自身の内面の風景を十分に認識する日を早めることができますし、最終的に自分は何に到達するのかということを心の中で知ることができますし、ついには、真に「見る」ことができるようになります。
◆ 子どもの目を通して自分の周りの世界を真に「見る」
ある日の午後、私は海辺に降りていって、足元の岩に打ちつける波を座って見つめていました。そして、素晴らしいご褒美をもらったのです。私は完全にその光景に圧倒されていました。ごく普通の光景が、これほどまでに純粋な魔法と神秘に満ちている瞬間を、私は今まで体験したことがありませんでした。私は、ほんの少ししか目を開けていませんでした。水面の太陽と、海の流れと、かすかなそよ風によって、言いようのないほど美しいおとぎの国を感じ、真に「見る」ということが生まれて初めて起きたのです。
最初それは立体的で、きらめく水滴が列をなして動いているように思え、海の浅いところにある揺らめく銀の木々のように見えました。少し経つと、きらめくガラスの岩や裂け目が何層にも重なったガラスの山のように見えてきました。動き、揺れ、ちらちらと輝く、ガラスのダイヤモンドのような山、銀の葉や木々のようでした。私はその場を立ち去ることができず、その光景にうっとりとしていました。長い時間のように思えましたが、おそらく2、3分のことだったでしょう。その後、車で家に戻る道すがら、私はいつもの灰色の道路に注意を奪われるのでなく、そのかわりに、深い紫色の春のブルーベルの花、なでしこ、そして他のさまざまな花が生垣や道端に咲き乱れているのが目に入ったのでした。そのとき私は、それらの花をふだんと同じように見ていたのですが、生まれて初めて、あるがままの真の花の姿を「見た」ように感じました。
もし、自分の周りにあるものの外見の美しさを真に見ることを、ごく幼い子どもたちに教えることができたなら、はがれた塗装や町のすすぼこりの美しさを教えることができたなら、子どもたちは、すべてのものの内側にある美しさを大人になるまでずっと見続けることができるでしょう。ごく幼いときに子供たちが必ず見ている内面の美しさを、すべてのものに反映させることができるでしょう。それを教えることは、人類のために私たちが果すことができる何と素晴らしい役割でしょうか。
子どもたちは、私たちの教師になることが本当にできます。人間の内面に目を向けたり、「見る」ということは、私たち大人にとって最良の教育です。そして、子どもたちはごく幼いころにそうすることがとても上手です。牛にたかった腹が青い“醜い”蝿でさえ、薄くて繊細な羽を持っています。花や木、昆虫、鳥や動物たちを愛するように育てられた子どもは、同じように人や人生も愛し続けることを学びます。そして彼らの美的理解は発達して、お絵かきや遊びに溢れ出して、他の人たちに笑いや無邪気さや、幸福感をもたらします。
私たちも子どもに戻りましょう。そして子どもの目を通して自分の周りの世界を真に「見て」みましょう。このことをなし遂げるのに多くのことは必要とされません。ただ決意と、努力と、そして成功するという意志があればいいのです。さあ急ぎましょう! 待っていてはいけません! 今日からさっそく始めましょう!
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