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人は物と心でできているのでしょうか

2016年8月12日


 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

いかがお過ごしでしょうか。昨日の「山の日」を機会に夏休みを取られている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

厳しい暑さが続いていますが、冷房の効いた自宅で、もしくは図書館や避暑先で、セミの鳴き声をシャットアウトして思索でもしてみようかという方々のために、ちょっとした材料をご提供したいと思います。

 

人は「物」と「心」の2つからできているのかどうかというのがそのテーマです。

 

まずは、17世紀のフランスの哲学者であり、当時のバラ十字会の活動に深く関わっていたデカルトの考えをご紹介しましょう。

彼の考えによれば、人は物と心の両方からできています。デカルトは人の体は物質であるけれども、その中には心という呼ばれる実体があり、それは物質とは全く別のものであると考えました。

体に魂が宿っていて、魂の働きによって心が生じていると考えるのも、デカルトとほぼ同じ考え方であり、これらの考え方を実体二元論(Substance dualism)と呼びます。

 

これらの見方は、自然科学が発展して行くにつれて徐々に人気がなくなっていきました。ガリレイやニュートンの仕事によって、地球上の物体の運動や天体の運動が、まるで機械の動作のように正確に予想できるようになると、心のような特別な実体が、人の脳の中だけで働くと考えるのは不自然だと思う人が増えてきたのです。

そして、心という実体が存在するのではなく、次のように考える人が現代では多くなってきました。

 

生理学によれば、大まかに言えば脳とは神経細胞のネットワークです。そして、このネットワークには化学物質や電気の信号が飛び交っています。化学物質とは原子からなる分子ですし、電気とは、電子や陽子などの電気を帯びた素粒子の運動です。

神経細胞のイラスト

 

そこで、心と呼ばれるものも、実際には、このような物理的な実体(素粒子、原子、分子)の組み合わせと動きだと考える立場があります。

ですから、この考え方によれば、人は物だけからできていることになります。人の心や他の生き物の心は、実際には、物とその動きであり、世界には物しか存在しないことになります。この考え方を物理主義(Physicalism)と言います。

 

最近では、神経細胞をまねたネットワークを、コンピュータ内にプログラミングして、それに学習を施すことによって、極めて優れた人工知能が作り出せることが分かってきました。このことを、心が物質である実例であると考える人もいます。

参考記事:「人口知能について」

http://www.amorc.jp/blog/?p=1074

 

ところが、この物理主義には問題があると考える人も少なくありません。その最大の問題は、物理主義が正しいとすると、人間には自由意志はないと考えざるを得なくなるという点です。

なぜそうなるのかをご説明します。もし、この世に物しかなくて、物は物理の法則に従って運動しているとします。すると、現在の物(素粒子)の配置と運動によって、未来はすべて決まっていることになります。ですから、人間は意志によって未来を変えることはできず、人に自由意志があると考えることは、単なる思い込みに過ぎないということになります。

 

時として、「人に自由意志があるというのは幻想です」と気楽に主張する文章を目にすることがあります。

正直に申し上げれば、このような主張をされる方々は、この事柄について、ほんとうは深く考えたことがないのではと感じます。

 

たとえば、テロや重大な犯罪のニュースが連日のように報道されています。もし、人が自分の行動を意図的に選ぶことができないとしたら、そのような行動をすることはあらかじめ決まっていたのですから、犯人を裁くことには、何の意味もないことになってしまいます。

また、次の例についても考えてみてください。ちょうど今、オリンピックが開催されています。柔道、体操、卓球、バドミントンなどの多くの競技で、選手たちが、人間の限界のように思える技術を見せてくださっています。それは、これらの人たちが、自分の自由意志で激しい練習をすることを決めて、それに耐えたからこそ実現した、奇跡のように美しい瞬間です。

もし、未来があらかじめ決まっていて、自由意志を行使することができない、つまり、人には行動を選ぶことができないとしたら、人が行なう努力に貴重な意義があると考えることは、すべて思い込みになってしまいます。

同様に、科学研究にも、芸術にも、人生の他のすべての行いにも何の意味も存在しないことになってしまいます。

人類の数千年の歴史の大部分の期間、偉大な思想家の大多数が、人生には意味があると考えていました。この人たちがもし生きていたら、人生に意味がないことになってしまう物理主義には賛成しないように思われます。

また、これは私の個人的な意見ですが、ジャンケンができるというたった一つの事柄だけでも、人に自由意志が存在する証拠であるように思われます。

 

興味深いことに、心と呼ばれるものが実は物だと考える物理主義は、物理主義という名前が付いてはいますが、一線の物理学者のすべてがそのように考えているわけではありません。

参考記事:「科学的なことと非科学的なこと-アインシュタインと神秘学」

http://www.amorc.jp/blog/?p=650

 

自由意志の問題以外にも、物理主義にはさまざまな問題があることが指摘されています。ご興味のある方は、「マリーの部屋」、「ゾンビ論法」などのキーワードでインターネットを調べてみてください。

 

ここまで、人間は物と心の2つでできているというデカルトの考え方と、物だけでできているという物理主義の2つをご紹介しました。あなた自身の意見はどちらに近いでしょうか。それとも、別の第3の意見でしょうか。駆け足のご紹介でしたが、考えるご参考にしていただければ嬉しく思います。

 

来週は夏休みをいただきます。再来週、またお付き合いくだされば嬉しく思います。

では、また。

 

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