こんにちは、バラ十字会の本庄です。
東京板橋では、梅雨が続いていますが、この数日は降り方が、しとしとというような感じではなく、夏の雨のようです。梅雨明けが近いせいかもしれません。
いかがお過ごしでしょうか。
当会のフランス本部の代表が、「権威」(authority)をテーマに、2週間ほど前に自身のブログに文章を書いていますので、その翻訳をご紹介します。
権威について
◆ 権威とは何か?
定義から言えば権威とは、命令したり、誰かに何かを行うように強いたり、従わせたりする力です。かつて権威は、世界の大部分の国で文化的な性質のものであり、モーレス(訳注)の一部でした。家庭内であっても、社会全般であっても、人と人との関係は権威に基づいており、競い合ったり議論したりするものではなく、単に受け入れられるものでした。子供たちは、とても幼いころから教師、両親、大人、あるいは権威を代表するいかなる人も尊重するように教育され、指導されており、それは時として行き過ぎることがありました。
訳注:モーレス(moeurs):社会的慣行、集団の持つ基本的道徳観の現れ。
◆ 権威とヒエラルキー(hierarchy)の切っても切り離せない関係
権威は伝統的にヒエラルキー、つまり支配と従属という関係に基づく社会組織と切っても切り離せない関係にあります。ヒエラルキーは、一部の人には命令を下す権利があり、他の人にはそれに従う義務があるということを前提にしています。そのような社会組織は、上下(vertical:垂直の)の関係において権力が用いられることに基づいており、通常ピラミッド型の統治システムを採ります。誰もが承知しているように、民主主義国家においては、権力の行使は対等な(horizontal:水平の)関係に基づくことが望ましいとされ、社会の上下関係のようなあり方には、ますます意義が唱えられるようになってきています。対等という考え方と権威を両立させるのは簡単なことではありません。
◆ 権威の危機
政治、経済、社会、職場、共同体、あるいはスポーツなどの場でも、権力を行使する人たちが言うことを聞いてもらえず、従われず、尊敬されないという点で、現代は「権威の危機」に直面していると大多数の社会学者が考えています。教育の現場では、高校でも大学でも、教師は授業中の規律を保つことがますます難しくなり、反抗、尊敬を欠く態度、無礼さに日々直面しています。私はこのことを個人としてとても残念に思っており、古代ギリシャ文明の衰退期の始まりにプラトンが語った次の言葉に同意しています。
「父親が、子供たちに好き勝手をさせるのに慣れたとき、子供たちが、もはや父親の言葉に耳を傾けなくなったとき、教師が生徒の前でおののき、お世辞を言うようになったとき、そしてついには、若者が自分たちの上には、いかなる権威も、誰の権威も認めなくなり、法律を軽んじるようになったとき、そのときがまさに、美しい(見てくれがよい)、若々しい独裁政治の始まりです」。
◆ 権利と義務のバランス
もちろん、プラトンのこの言葉について考えるときには、当時の状況を考慮に入れなければなりません。しかしこの描写は、現代社会に蔓延している心の状態を反映しているということを理解する必要があります。多くの人が法律を尊重していますが、一方で、法律を軽んじているのは若者だけではありません。きっと一部の人は同意しないことでしょうが、私は、暴力も無政府主義も正当化されるべきではないと考えています。ピタゴラスが当時すでに説いていたように、このことからは、義務と権利の間に存在するべきバランスという問題が提起されます。そしてこのバランスが失われていないかということは、統治する人と統治される人の両方に問われなければなりません。
◆ 権威を復活させる緊急性
おそらく、遠い昔に私が教師をしていたからかもしれませんが、学校、家庭、職場、社会で、権威を復活させることが緊急の課題になっていると私は確信しています。もしそうしなければ、現代文明は道徳的な衰退という道に沈んでいくと私は考えています。どうか誤解しないでください。私は悲観主義者でも、衰亡論者、反動思想家、道徳偏重主義者でもありません。私は地球に生きる市民のひとりとして、そしてバラ十字会員のひとりとして、多くの人がより良く一緒に暮らすためには権威が必要だと考えています。当然のことですが、それはその権威が正当なものであり、優れた洞察と敬意とともに用いられるということを前提にしています。
セルジュ・トゥーサン、バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表
著者セルジュ・トゥーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。
多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。
ふたたび本庄です。
学校での学習にも、社会人学習、当会での学習にも当てはまることだと思いますが、教えられることにどの程度の権威を認めるかは、重要なことです。
もし教えられていることに絶対的な権威があると考え、それが必ず正しいとしてしまうならば、そのことについて自発的に考えることをしなくなってしまいます。
一方で、教えられていることに何の権威も認めないならば、それが現在の自分の意見と異なるときには、検討すらしなくなります。
ですから、何かを学んで向上するためには、この2つの中間が必要です。
「中庸」(Golden Mean)は、古代ギリシャの哲学者プラトンが対話篇『ピレボス(快楽について)』で、アリストテレスが著書『ニコマコス倫理学』で検討している、多くの場合に役立つ歴史あるガイドラインです。
下記は、前回のセルジュ・トゥーサンの記事です。
参考記事:
今日はこのあたりで。 また、お付き合いください。
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