投稿日: 2017/01/27
最終更新日: 2024/11/12

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

※ バラ十字会は、宗教や政治のいかなる組織からも独立した歴史ある会員制の哲学団体です。

あるきっかけがあり、古代エジプトの神々について調べていました。

古代エジプトは多くの時代に、上エジプトと下エジプトと呼ばれる特徴の異なる勢力圏に分かれていました。上エジプトと下エジプトの境界は、現在の首都のカイロのあたりで、ナイル川のそれより上流の地域が上エジプト、下流の地域が下エジプトと呼ばれます。

紀元前3100頃に、上エジプト出身のメネス(メナ)王が上下エジプトを統一し、古代エジプトの王朝時代が始まりました。そして、西暦30年に古代ローマに滅ぼされるまで3000年以上にわたって、この王朝時代が続きました。

古代エジプトが特に繁栄していた時代が3つあり、古王国時代(前2686頃~2181頃)、中王国時代(前2133頃~1786)、新王国時代(前1567~1085頃)と呼ばれており、その間の衰退していた時期は中間期などと呼ばれています。

古王国時代はピラミッドの建設、中王国時代は文学の発展、新王国時代は領土の拡大と宗教改革で特に有名です。

ルクソールのカルナック神殿の中にあるアモン大神殿の石像群
ルクソールのカルナック神殿の中にあるアモン大神殿の石像群

みなさんもよくご存じのことと思いますが、古代エジプトは多神教で少なくとも100以上の神がいます。

そこでまず最初に疑問に思うのは、多数の神々のうち最高神はどれかということです。最高神というとあいまいになる恐れがありますので、ここでは、世界を創造したと多くの人々が考えている神(創造神)を指すことにしましょう。しかしこのように定義しても、古代エジプトは広大な国土であるうえ、歴史も3000年以上にわたるので、実は場所と時代によって最高神が異なってきます。

エジプトの初代の王のメネスは、上下エジプトを統一すると、その境界に近いメンフィスに都を置きました。メンフィスで信仰されていたのは、鍛冶と職人の神であるプタハ神です。プタハ神は言葉を発することによって世界を創造したとされていました。ですから、この時代にこの場所では最高神はプタハであったことになります。

しかし、これからご説明するように、カイロのすぐ北東にあった古代都市オン(ギリシャ名はヘリオポリス)が当時のエジプトの宗教の一大中心地であり、この地の神話ではアトゥムが創造神だとされていました。アトゥムはやがて太陽神ラー(別名「レー」、「ラー」も「レー」も太陽を意味する)と同一視され、アトゥム・ラーと呼ばれる神になります。ですから、この時代のヘリオポリスではアトゥムもしくはアトゥム・ラーが最高神でした。

時代が下って中王国時代になると、古代エジプトの首都がテーベ(現在のルクソール)に移ります。テーベでは元々地域神として、豊穣の神、大気の守護神アモン(別名アメン)が信仰されていました。アモンという名は「見えない者」を意味し、勃起した男根を持つ男神であり、世界の原動力であるとされていました。テーベが首都になると、宗教の中心地として発展し、アモン神はエジプト全土で信仰されるようになります。ちなみにこの地の神話にはアモン神を含む、男女4対の8柱の神がいてヘルモポリス8神(古代エジプト語で「8」を意味する「ヘメヌー」が語源だとされる)と呼ばれています。

アモン神は創造神として太陽神ラーと同一視され、アモン・ラーと呼ばれるようになります。この神への信仰は新王国時代も続きました。ですから、中王国時代と新王国時代のエジプトの最高神はアモンもしくはアモン・ラーだと言うことができます。

新王国時代の第18王朝のファラオのアメンホテプ4世は、後述の宗教改革を行い、アモン神崇拝を禁止し、一神教の神としてアトン(太陽円盤)を唱えました。首都もテーベからアケトアトン(現在のテル・エル・アマルナの近郊)に移し、自分の名前もアメンホテプ(「アモンは満足している」を意味する)からアクナトン(「アトンの弟子」を意味する)に変えています。ですからこのファラオの在位期間は、エジプトの最高神はアトンだったことになります。しかし彼の死後、エジプトの首都はテーベに戻り、アモン神崇拝も復活しています。

『フネフェルのパピルス』(紀元前1275年頃)の「心臓の計量」(死者の審判)の場面。左からアヌビス神、アヌビス神、アメミット、トート神。
『フネフェルのパピルス』(紀元前1275年頃)の「心臓の計量」(死者の審判)の場面。左からアヌビス神、アヌビス神、アメミット、トート神。Hunefer, Public domain, via Wikimedia Commons

先ほどご説明した古代都市オンは、ナイル川の三角州地帯、現在のカイロのすぐ北東にあります。紀元前3000年ごろから太陽神ラーの崇拝の中心地として栄えていました。

特に紀元前2400年頃には、オンの神学がエジプト王朝の全体に広まり、当時のファラオは「太陽の子」という称号で呼ばれていました。

オンという都市は、ギリシャ語で「太陽の都市」を意味するヘリオポリスという名でも知られています。

西洋哲学の創始者のひとりとされるギリシャの哲学者プラトンは、ヘリオポリスに留学していたという言い伝えがあります。

プラトンの肖像画
プラトン(ラファエロ作『アテネの学堂』の一部分)

ヘリオポリスの創世神話によれば、宇宙に最初に存在していたのは、原初の海ヌンでした。この海からアトゥム・ラーが生まれました。太陽によって象徴される原初の創造神です。

「ネシ・アムス」(Nesi Amsu)という名のエジプトのパピルス文書には、このアトゥム・ラーが、シュー神(大気)とテフネト神(母なる水)を放出し、シュー神とテフネト神からゲブ神(大地)とヌト神(天界)が生じたと書かれています。

そしてさらに、ゲブ神とヌト神からは、オシリス(冥界の神)とイシス(豊穣の女神)とホルス(天空の神)とセト(破壊の神)とネフティス(夜の女神)のすべてが同時に生じたと書かれています。

以上の創世神話から、旧約聖書の『創世記』の冒頭を思い起こす方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、エジプトのこれらの神々の系図を表にしてみると、ユダヤ教の秘伝哲学にあたるカバラの、「生命の樹」(セフィロトの樹)と似ていることが分かります。

参考記事:『カバラとは? 生命の樹とセフィロトと流出について、数の象徴学と数秘術

カリフォルニア州サンノゼ市にあるバラ十字会の図書館の入り口に置かれたホルス神の像
カリフォルニア州サンノゼ市にあるバラ十字会の図書館の入り口に置かれたホルス神の像

旧約聖書の『創世記』によれば、モーセはエジプトで育った後に、ヘブライ人を連れてエジプトを脱出し、シナイ山で神と出会い、契約を結び、さまざまな掟を伝えられたとされています。この掟がユダヤ教の基礎になっています。

旧約聖書のこのストーリーの多くの点が、事実とは異なっていると考える現代の歴史家が多くいます。

たとえば、モーセは神に出会ったのではなく、当時シナイ山には、極めて進んだ哲学を研究している集団が住んでいて、モーセは彼らから教育を受けたのだという説があります。

現代の歴史家ではありませんが、古代ローマの著作家ヨセフスは、エジプトのファラオのアメンホテップ3世が、皮膚病の流行を避けるために患者たちを移住させたとき、ヘリオポリスの司祭オサルセフがそれを監督し、オサルセフは後にモーセと名乗るようになったという、エジプトの神官の記録を自分の書に引用しています。

これらのことを考え合わせると、モーセが、エジプトのさまざまな人々から進んだ思想を学び、それをユダヤ教の基礎として生かしたということは確実に思えてきます。

さて、古代エジプトの神々に話を戻しましょう。古代エジプトの宗教は多神教だと言われます。そしてアメンホテップ4世(ファラオ・アクナトン)が、多神教の聖職者たちの多くに対抗して、歴史上初めて一神教を唱えたとされています。

しかし、バラ十字会の専門家の詳しい調査によれば、事情はそれほど単純ではないようです。

確かに、エジプトのさまざまな地域で異なる神々が信仰され、人々は、健康や安全や他の御利益を願って、それらの神々に捧げものをしたり寄付をしたりしていました。

言い方を変えれば、当時の聖職者たちは、神々に捧げものをしたり自分たちに寄付をしたりすれば御利益が得られるという、「多くの人たちの信じていること」を強めることに腐心し、それを利用して自分たちの富と権力を強化していました。

どこかで聞いたような話ですね。

アメンホテップ4世の宗教改革は、このような劣化版の宗教に対抗して、高い理想と道徳に従う生き方を促すという宗教本来の役割を取り戻そうとしたのだという説があります。もしそうだとしたら、驚くべき近代的な考え方ですね。しかしまた一方では、王家と宗教集団の間の権力闘争という側面もあったようです。

また別の調査によれば、アメンホテップ4世が生まれるはるかに前から、エジプトの聖職者集団の中枢にいる人たちは、さまざまな神々が、実は、宇宙のさまざまな原理の象徴に過ぎないと考えていたようです。

そしてこれらの原理は、宇宙で唯一の絶対的存在の異なる側面の現れにあたり、この絶対的存在は、知ることも名付けることもできないとされていました。

この考え方は、バラ十字会が通信講座を通して多くの皆さんにお伝えしている現代の神秘学(神秘哲学:mysticism)に極めて近いものです。

オシリス神が描かれた、ルクソールにあるメナ(Menna)の墓の壁のレリーフ
オシリス神が描かれた、ルクソールにあるメナ(Menna)の墓の壁のレリーフ

神々が宇宙の原理を表わしているという実例をひとつご紹介します。

オシリスとイシスとホルスは、古代エジプトで最も広く崇拝されていた三大神です。オシリスは男性原理であり、イシスは女性原理にあたります。そして、この二神の間に生まれたのが息子のホルス神です。

現代の神秘学には、「三角形の法則」として知られている原理があります。第1の要素と、その反対の性質を持つ第2の要素が引き寄せあって結合したときに、新しい第3のものが生じるということが、世界のあらゆるところに広く見られるという原理です。

たとえば、プラスの電気を帯びた核と、マイナスの電気を帯びた電子が結合すると原子が作られます。人間では、精子と卵子の結合によって子供が生まれます。電源の陽極と陰極をつなぐことにより電流が流れます。人は身体と魂からなります。ある判断とそれと矛盾するように思われる判断が統合されたとき、より高いレベルの判断が完成します。

古代エジプトの進歩的な人々は、オシリスとイシスとホルスという三体の神のことを、この三角形の法則を表わす象徴だと見なしていた可能性があります。

プラトンはおそらく、古代エジプトの、このような進んだ考え方を学んだのです。

プラトンは自然界に見られるあらゆるものが、知性と物質の組み合わせだと考えていました。そして、知性のことを「イデア」もしくは「父」と呼び、物質のことを「育むもの」もしくは「母」と呼びました。

有名なイデア説ですが、オシリスとイシスとホルスによって象徴される三角形の法則にそっくりです。プラトンのこの考え方は観念論と呼ばれますが、その後、彼の著作や弟子のアリストテレスを経て、世界中に広がって行くことになります。

参考記事:『「洞窟の比喩」とプラトンのイデア論をわかりやく解説 - 実在の探求と哲学者

先ほど話題にしたモーセは、古代エジプトの進んだ思想を吸収して、ユダヤ教の骨格を作り、それは、キリスト教とイスラム教の基礎にもなりました。そのためモーセは、この3つの宗教のすべてで、重要な預言者であると見なされています。

プラトンを通して、エジプトの思想は、その後の西洋のあらゆる哲学に影響を与えることになりました。

また、「哲学の父」と呼ばれる、古代ギリシャの哲学者ミレトスのタレスも、三平方の定理で有名なピュタゴラスも、エジプトに留学していたことがあります。

ですから、西洋の哲学と宗教の基礎は、ほとんどすべてがエジプトからもたらされたということができるようです。

ギザ高原にある巨大で精巧なピラミッドを目にすると感じることがあります。この国には、何かとてつもなく壮大なことが古代に伝えられていたのであり、それを現代人は、まだほんの一部しか見いだしていないという思いです。

ギザ高原の三大ピラミッドとスフィンクス
ギザ高原の三大ピラミッドとスフィンクス

参考記事:『ピラミッドの本当の目的という謎|墓説の不具合とどうやって作ったか

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執筆者プロフィール

本庄 敦

本庄 敦

1960年6月17日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部代表。東京大学教養学部卒。
スピリチュアリティに関する科学的な情報の発信と神秘学(mysticism:神秘哲学)の普及に尽力している。
詳しいプロフィールはこちら:https://www.amorc.jp/profile/

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