◆ テンプル騎士団とは
テンプル騎士団とは、フランス人のキリスト教徒の9名の騎士が12世紀初めに創設した騎士団です。その目的は、パレスチナに住むキリスト教徒とエルサレムに向かう巡礼者をイスラム教徒から警護することでした。
これからご説明するようにテンプル騎士団の団員は、宗教間の和解を促そうとする高い理想を持っていた人たちであり、その中枢は哲学学派でもあり、国際金融システムを構築して巨額の富を蓄えた実務的な人たちでもありました。
しかし、当時のフランス王の策略により、カトリック教会に対する異端の嫌疑がかけられ、騎士団長ジャック・ド・モレーとメンバーの多くが、宗教裁判を経て火あぶりの刑になり、1311年に活動が停止しました。
◆ テンプル騎士団の歴史
十字軍の結成と、その真の目的
今から1000年近く前、11世紀の終わりごろのできごとですが、当時のローマ法王(ウルバヌス2世)がカトリック教会の会議で次のことを訴えました。
イスラム教徒がパレスチナを占領して、その地に住んでいるキリスト教徒を虐殺している。また、聖墳墓と呼ばれる、エルサレムにあるキリスト教の聖地を占拠し冒涜しているので、奪い返す必要があると訴えたのです。
歴史家によればこの訴えは、完全な嘘とまでは言えないとしても、真実からかなり離れていました。
当時この地を支配していたトルコやエジプトのイスラム教徒は、キリスト教に寛大であり、キリスト教徒の巡礼も認め、この地で2つの宗教は比較的平和に共存していたのです。
ローマ法王の真の動機は、カトリック教会の支配をパレスチナにまで広げて経済的な利益を増やすためだったと、多くの専門家が考えています。
しかし、ローマ法王のこの訴えは成功し十字軍が結成されました。何千人もの一般の人々がヨーロッパを横断してエルサレムに向かい、途中の国でも賛同者が加わり、十字軍の規模は膨れ上がりました。
彼らはさまざまな土地で、略奪や殺人を行いました。十字軍は“聖なる戦い”であるので、十字軍に参加している間に犯した罪には有罪の判決が下されることはないと兵士は教えられていたのです。
その後13世紀の終わりまで、何回もの十字軍の遠征が行われ、そのたびに各地で虐殺や略奪が起こりました。
十字軍への非難とテンプル騎士団の誕生
十字軍の遠征のごく初期から、フランスの少数の騎士たちが、キリスト教徒であったにもかかわらず、その残虐な行ないを非難していました。
一方で、十字軍の影響によってパレスチナでは、キリスト教とイスラム教の対立がとても激しくなっていました。
1118年に、9人のフランスの騎士がエルサレムに移住し、テンプル騎士団を結成しました。その目的は、パレスチナのキリスト教徒が攻撃されたときに彼らを守ることでした。
しかし、パレスチナからイスラム教徒を排除することには関わっていませんでした。また、十字軍からユダヤ教やイスラム教の施設を守ることも行っていました。最初の騎士団長はユーグ・ド・パイヤンという人でした。
この騎士団の本部が、古代のソロモンの神殿(テンプル)があったとされる場所の近くに置かれていたことが、テンプル騎士団という名前の由来です。
騎士団のメンバーの大部分は、勇敢であるばかりか高潔であるという評判が広まり、カトリック教会から公認されたこともあり、テンプル騎士団に入ることを志願する人が多数に上りました。
また、その人道主義的な活動は多方面からの支持を受け、テンプル騎士団は多くの国にまたがる巨大な組織に成長します。
◆ テンプル騎士団と十字軍の違い
テンプル騎士団のメンバーはキリスト教徒だったのですが、十字軍の活動とは一線を画し、十字軍によって行われているイスラム教徒の虐殺を非難していました。
また、イスラム教の学者たちと密接に交流し、多くの知識を受け取っていました。当時のイスラム世界は、あらゆる分野で西洋よりもはるかに進んでいたのです。
イスラム教の学者たちからテンプル騎士団へ、錬金術、秘伝哲学、数秘学、象徴学などの知識がもたらされました。
またテンプル騎士団の中枢の人たちは、ユダヤ教の指導者たちとも密接な関係を保っていました。
十字軍は多くは、ほとんど何の訓練も受けていない一般の人たちで、信仰心は強い人が多かったようですが、教育はほとんど受けていませんでした。そして、宗教ではなく、政治と経済の利害関係に基づいた命令を受けている指揮官たちに率いられていました。
一方で、テンプル騎士団のメンバーは、よく訓練を受けた騎士などであり、異文化に深い理解を示し、他の宗教に寛容であり、キリスト教とイスラム教の間の戦いが収まり、あらゆる宗教が和解することを望んでいました。また、カトリック教会に無条件に従う集団ではありませんでした。
以上のご説明で、十字軍とテンプル騎士団は、性質が全く異なるということがご理解いただけたことと思います。
◆ フランス王の策略とテンプル騎士団の壊滅
進んだ考え方を持つ人たちが、当時の権力者から憎悪されるというような事例は、人類の歴史の様々な場面に見うけられます。
他の宗教への寛容や異文化についての理解でも、テンプル騎士団は進んでいましたが、それだけではありませんでした。彼らによって、国際取引を行うことができる銀行システムが歴史上初めて作られたことが知られています。
このシステムによって、テンプル騎士団は莫大な財産を手に入れていました。
当時フランスは、国の財政が危機に瀕していました。フランス王フィリップ4世(フィリップ端麗王)は、テンプル騎士団の進んだ考え方を憎悪しただけでなく、ローマ法王を利用して、その財産を手に入れることを決断します。
フィリップ4世の策略により、テンプル騎士団には異端の嫌疑がかけられ、当時の騎士団長ジャック・ド・モレーやメンバーの一部は、宗教裁判を経て火あぶりの刑になります。そして騎士団の活動は1311年に停止されました。
ちなみに、13日の金曜日が不吉だとされるのは、1307年10月13日(金曜日)にテンプル騎士団の人々が逮捕されたからだという説があります。
◆ フリーメイソンとテンプル騎士団の関係
テンプル騎士団には、レンガ職人、石工、大工、鍛冶職人など、あらゆる種類の職人の集団が加わっており、特に有能な職人が集まっていたことが知られています。裁判から解放された騎士団員の一部は「職人組合」という名で知られるギルドに参加しました。ギルドとは極めて古い歴史を持つ、中世ヨーロッパの商人や職人の同業者の団体です。
フリーメイソンは18世紀の初頭に結成された国際的な親善団体ですが(それより以前だという説もあります)、中世のメイソン(石工)のギルドが起源だとされており、テンプル騎士団と関連がある可能性があります。
◆ バラ十字会とテンプル騎士団の関係
さて、テンプル騎士団とバラ十字会にはどのような関係があったのでしょうか。
先ほどお話ししたように、テンプル騎士団の人たちは、錬金術、数秘学(宇宙の秩序の基礎としての数の意味を研究する学問)、象徴学に深い関心を持っていました。
さらに、ユダヤ教の秘伝哲学、キリスト教のグノーシス派の思想も研究していました。これらの分野はまさに、中世から近世のバラ十字会員が主に研究していた分野と同じです。
テンプル騎士団の良く知られている象徴は、クロスパティーと呼ばれる赤い末広がりの十字なのですが、騎士団の中枢のメンバーは、自分たちの秘密の象徴としてバラ十字を用いていたことを示す文献がいくつか残されています。
ですから、当時のバラ十字会とテンプル騎士団は密接に関わっていた可能性があります。
フランスの社会学、哲学、宗教史の専門家であるフレデリック・ルノアーはこう語っています。「ソロモンの神殿、あるいは古代エジプトにさえ遡ることのできる秘伝哲学の知識が、テンプル騎士団を通してバラ十字会に伝わったのであろう」。
実際にも、当会に伝えられている用語や式典、考え方の多くに、テンプル騎士団からの影響が見られます。
なお、ドイツの文豪ゲーテの作品『メールヒェン』(緑の蛇と百合姫の物語)は、薔薇十字団の宣言書『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』に触発されて書かれたことが知られています。
そして、テンプル騎士団の理想を表した寓話だというルドルフ・シュタイナーの説があります。このことについては、次の記事をお読みください。
参考記事:『ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと神秘思想、主な作品の紹介、テンプル騎士団』
何世紀も昔のことなので、謎に包まれている部分も多いのですが、知られている情報は以上のようなことであり、テンプル騎士団からバラ十字会に、さまざまな知識や伝統思想が伝わったのだと推測されています。
ここで、ひとことお断りしておかなければなりません。私やバラ十字会は、今までのようなご説明で、現在のカトリック教会のことを非難しているわけではありません。
ただ、数世紀前の人類の歴史に起こった悲しいできごとをご紹介しています。
このブログで、ときおり話題にしていることですが、バラ十字会AMORCの世界中の会員には、カトリック教徒の方々も含む、あらゆる宗教を信仰する方々がいて、またもちろんですが、宗教を信仰していない方々もいます。
そして、会員の間には、宗教的な立場の違いを超えた寛容の精神と友愛が実際に成立していますし、この状況が世界のすべての人たちに広がることを心から望んでおり、そのことを活動の目標のひとつにしています。
ですから、バラ十字会はある意味では、テンプル騎士団の理念を受け継いでいるとさえ言うことができます。
◆ テンプル騎士団と秘伝哲学
最後に、もうひとつご紹介しておきたいことがあります。テンプル騎士団の中枢の人たちは、ユダヤ教とキリスト教の秘伝哲学のことを特に重要な知識だと考え、熱心に研究していました。
ユダヤ教の秘伝哲学はカバラと呼ばれます。下記の記事で解説されていますので、ご参照ください。
参考記事:『カバラとは? 生命の樹とセフィロトと流出について、数の象徴学と数秘術』
これらの秘伝哲学は、バラ十字会の哲学にとって欠かせない要素になっています。
しかしバラ十字会以上に、テンプル騎士団の哲学を専門に受け継いでいる団体があります。
それは、「伝統マルティニスト会」(Traditional Martinist Order)と呼ばれる哲学団体です。
1931年にフランスでオーギュスタン・シャボソー(Augustin Chaboseau)が創設したこの会は、「知られざる哲学者」という異名を持つルイ・クロード・ド・サンマルタンの思想を通して、テンプル騎士団の哲学を継承しています。
伝統マルティニスト会は、残念ながら日本では活動していませんが、バラ十字会AMORCは、この会の考え方と活動に賛同し、世界中でこの会を後援しています。
(伝統マルティニスト会の秘伝哲学を学ぶ日本語教材を、バラ十字会日本本部からご提供できるようにする計画が現在進行中です。(2023年11月加筆))
テンプル騎士団をテーマに、今回はかなり立ち入った話題についてお話をさせていただきました。
ご参考になったと感じていただけた部分があれば、とても嬉しく思います。
執筆者プロフィール
本庄 敦
1960年6月17日生まれ。バラ十字会AMORC日本本部代表。東京大学教養学部卒。
スピリチュアリティに関する科学的な情報の発信と神秘学(mysticism:神秘哲学)の普及に尽力している。
詳しいプロフィールはこちら:https://www.amorc.jp/profile/
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第1号:内面の進歩を加速する神秘学とは、人生の神秘を実感する5つの実習
第2号:人間にある2つの性質とバラ十字の象徴、あなたに伝えられる知識はどのように蓄積されたか
第3号:学習の4つの課程とその詳細な内容、古代の神秘学派、当会の研究陣について
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