こんにちは。バラ十字会の本庄です。
東京板橋は、昨晩からポツポツと雨が降り、今日はやや涼しい、過ごしやすい一日になっています。
いかがお過ごしでしょうか。
札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、能登半島の先端の村を舞台にした小説についての文章が届きましたので、ご紹介します。
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『ひとりぼっちの政一』 橋本ときお著
文芸作品を神秘学的に読み解く34
政一(まさいち)はひとりぼっちなのです。いや、ひとりぼっちにされたのです。
時は昭和の40年代初め頃。3年前に、ばあちゃんの家に引き取られてから、政一は能登半島の突端、珠洲市上田町にある上田小学校に通っています。
両親は喧嘩ばかりしていましたが、政一が1年生のとき、父は出稼ぎに行くと言って出て行ったきり、帰ってきませんでした。
政一と2人で暮らしていたかあちゃんも、ある日、政一を置いて黙って出て行ってしまいました。
ばあちゃんとじいちゃんと中学生の義姉ヨッコと4人で暮らしていますが、ばあちゃんは何度も言います、『おまえみたいなやつは、かあちゃんといっしょにいけばよかった。』と。
「政一は、いっしょうけんめい、いい子になろうとつとめますが、友だちがいないことは、やはりさびしかった。みんなから白い目で見られていると思うと、ついカッとなったり、らんぼうしたりすることが多くなった。」
政一にはかあちゃんから一度だけハガキが届いていました。北海道の旭川から出したものです。「あかちゃんがうまれたら、政一をむかえにいくから。」と書いてありました。
そのハガキは誰にも見せず学生カバンの奥にしまってあります。母の日にかあちゃんにあげるようにと貰ったカーネーションの造花と一緒にカバンの奥深くにしまってあるのです。
かあちゃんが迎えに来ることはなく、罪作りなのかも知れません。でも、このハガキは政一の心の支えになっていました。
6年生になった最初の日。政一は6年生の教室を見て回りますが、自分の名前がどの教室にもありません。
どうしたことだろうと思っていると、校長先生に呼ばれて、『家の人から聞いたやろけど、おまえはきょうから特殊学級でがんばるげぞ。』と言われます。
5年生まで一緒だった同級生とは別々にされました。政一には何が何だか分かりません。理不尽にしか思えないです。
政一は新しい担任の橋詰先生に尋ねます、『おれ・・・・普通へいきたい。』
『政一、いい子になれ。そうすれば普通へでもどこでもはいれる。』と、先生は言います。でも、『いい子ってなんだ。』という政一の問いかけに先生も答えられません。
私が小学校低学年の頃、実家のあたりはバスも通っていない田舎でした。私の母は看護師をしていて、20キロ以上離れた病院で働いていました。
勤務のスケジュールの都合で、週に1回か、10日に1回ぐらいしか帰ってこない生活でした。父も毎晩のように帰りが遅く、私が寝る前に帰ってくるのは珍しいことでした。
妹は親戚の家に預けられており、普段は私と祖父の2人なのですが、そんな祖父も酔っ払って、度々夕方には寝てしまったりでした。
元々はおばあちゃん子だったのですが、その祖母は、私が5歳のときに北海道の小樽へ行ってしまいました。
小学校も1時間以上歩いて通っていましたが、周りのみんなもそうして通っていたので当たり前でしたし、1年生の私でもそれほど苦にはなりませんでした。ただ担任のT先生にはなじめなかったのが正直な気持ちです。
たとえば、こんなことがありました。図工の時間に人形を作るので、何か布切れを持ってくるようにとT先生に言われました。しかし、例によって家には両親はいないし祖父も酔っ払ってしまっていたので、布切れは持って行きませんでした。
案の定、T先生にはほっぺたをちぎりあげられ、明日こそ必ず持ってくるようにとこっぴどく怒られました。T先生は中年の女の先生なのですが、手加減しないのかとても痛かったのです。
その日も家には両親がいなかったので、酔っ払っている祖父に言うと、「布切れなんかない」と取り付く島もありません。
私はなんとかしなければと思い、寝ているときに掛けていた茶色い毛布の端をはさみで切って学校へ持って行きました。
人形の服にはどうかなあ、と思いクラスメイトたちの目を気にしながら、机の上に出しました。
それを見たT先生は、「こんなものじゃ、使い物にならない。ダメだなあ。」と、言いながら毛布の切れ端を掲げ、クラス中のさらし物にしました。
私は何も言うことが出来ず、早くこの時間が過ぎ去ってくれればなあと、うつむくことしか出来ませんでした。
すると、後ろの方の席のHさんが、「私のをあげるから、それで作ればいいよ。」と言ってくれました。こんなに救われたと思ったことはありませんでした。
誰もが楽しみにしている盆踊り大会の日、政一の山森一家も出かけようとしていたとき、近所の親子が連れ立って誘いに来ました。
「『さあ、いかんかいね。』梅本のかあちゃんが、声をかけた。」
「『え~い。』ばあちゃんが返事をして外に出た。」
「『おや、政一ちゃんは。』梅本のかあちゃんがいう。」
「『ああ、あれは変なやつでな。なんにもいこやていわんげ。』ばあちゃんは、でっかい声でいった。すぐ後で小声で、」
「『いっしょにいかんほうがいいがや、また悪いことはじめるさかい。』と、つけくわえた。夕やみをぬって、げたとぞうりの音が遠ざかっていく、たのしそうなわらい声がひびいて、それもまもなく消えていった。政一は、家にひっそりととりのこされてしまった。」
もちろん、他に誘ってくれる友だちもいません。
政一は疎外感に苛まれ押しつぶされそうになります。
そして読者の私は共感していることに気付きます。それは遣る瀬ない想いの意味を理解するということです。決して、登場人物、この場合の政一を慮ることではありません。
政一の行動と気持ちの理由を知り、自分と共通していると分かり、自分に湧き起こる感情のメカニズムを知るようになるのです。
なぜ自分はあの時そういう気持ちになったのか。そういう気持ちになるとはどういうことなのか。それを判るということです。
自分の気持ちと折り合いを付けるということです。それが出来て初めて、他の人のことを気遣うことが出来るようになるのではないでしょうか。
神秘学的に言われる『汝、自身を知れ』ということにも繋がるでしょう。
政一は母ちゃんに会おうと一人で電車に乗り、金沢駅まで行って、警察に保護されてしまいます。
橋詰先生が迎えに来てくれました。北海道へは行けないことを思い知らされます。
その日から政一は上田町で生きていくことを決心します。いい子になろうとします。
妬み、嫉みも減っていきました。人との関わりが前向きになったように思われます。
もうすぐ卒業という頃になって、政一はもう一度橋詰先生に聞きます、『いい子ってどんな子やろ。』
ややあって先生は、『いい子とはな。・・・・人のことを心配してあげられる子のことや。』といいます。
『いいことをするんだと思ってやるのは、にせものだ。知らず知らずのうちに人のためになっている。そんなことをする子のことや。』こうつづけました。
同級生の晴彦や他の人たちも打ち解けてきたようです。
春の修学旅行にさえ行かせようとしなかったばあちゃんも、卒業式には中学校の制服を新調してくれました。
卒業証書を手にした政一の目に涙が光りました。嬉しくて泣いたのはこれが初めてでした。
私がこれまで最も多くの回数読んだ本が、この『ひとりぼっちの政一』です。
初めて読んだのは、上の妹が、課題図書として小学校から借りてきたのを偶然手に取ったときです。
その後、下の妹や近所の子に借りてきてもらい読みました。引っ越してからは図書館から借りています。
現在は絶版になっているようなので、近くの図書館から借りて読んでみてください。
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再び本庄です。
この小説を私は読んだことがないのですが、インターネットで検索すると、強い印象を受けたと多くの人が書いており、復刊を望む声も上がっています。
小学生時代というと、懐かしい楽しい記憶ばかりを思い出しそうな気がしますが、多くの人は、実は、そうでもないのではないでしょうか。
私たちが楽しく暮らすためには、周囲の人と自分との間に、互いを思いやる気持ちが欠かせませんが、小学生はもちろんのこと、大人といえども、真の思いやりを常に発揮できるほど内面的に成熟している人は、それほど多くないように思われるからです。
しかし、歴史を調べて過去と現代を比較すれば、人間は、世界全体としても、社会という単位でも、個人的にも、精神的な意味で確かに進歩していると考えられる実例が、少なくないように思います。
人生と他の人を愛おしく思う、ポジティブな思考を保ちたいと私は思います。
下記は森さんの前回の文章です。
記事:『ジェーン・エア ―』
では、今日はこのあたりで。
また、お付き合いください。
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