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ゼロ・エネルギーについて

2017年11月17日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

すっかり寒くなりました。朝、自転車に乗っていて手がかじかみます。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

 

さて、ジオスペース(Geospace)という言葉をご存じでしょうか。

カーナビ用のGPSや天気の予報には、いまや人工衛星が欠かせなくなっています。そのため、地球の近くの宇宙空間には、多くの人工衛星が回っています。

このような、人類の活動の影響が強く及んでいる範囲のことがジオスペースと呼ばれます。

 

方位磁石の針が北を指すことからも分かるように、地球は大きな磁石です。この磁石の磁場によって、地球上の生きものは、太陽からの放射線や他の宇宙線から守られています。

地球の磁場の様子を示すイラストをご覧になったことがあるでしょうか。

その様子を見ると、まるで生き物の細胞のような形だと、私はいつも感じます。

地球という核が、ジオスペースという細胞質によって守られ、全体として細胞を構成しているかのようです。

ジオスペースの地球磁場と太陽風

ジオスペースの地球磁場と太陽風

 

「母なる大地」、「マザー・アース」(Mother Earth)という言葉があります。この言葉は、原始的で根拠のない、単なる擬人化なのでしょうか。

私はそのようには思いません。

 

往々にして、形は性質を表していると思うのです。地球とジオスペースの形が、細胞に似ているのですから、地球も生きものであり、動物や人間などの生きものと同じように、ある種の意識があると考えることは、それほど不自然ではないのではないでしょうか。

ちなみに、過去の神秘家の多くが、動物や人間と同じように地球にも、ある種の意識があると考えていました。

 

このような意識は、きっと、私たちの想像をはるかに超えていることでしょう。

しかし、私はときどき、思いを巡らせます。地球で暮らす生きものたちのことを、地球は、深く愛しているのでしょうか。それとも淡々と育んでいるのでしょうか。

人類が、地球と自然環境に敬意を払うことなく、自分勝手な行いを今後も続けていくとしたら、どこまで寛容さを保っていてくれるのでしょうか。

草原に捨てられたドラム缶

 

先週の月曜日から、南太平洋のフィジーをホスト国にして、ドイツで国連気候変動会議(COP23)が開かれています。今日が、その閉会の日にあたります。

南太平洋のキリバスやツバルのような小国は、海面上昇によって国家消滅の危機にあります。そしてフィジーは、これらの国に援助の手を差し伸べています。海面上昇の原因は、地球の温暖化だと考えられています。

 

COP 23 Fidschi Bonn LOGO

国連気候変動会議(COP23)のロゴ(See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons)

 

地球温暖化を抑えるための国際的な取り決めであるパリ協定から、米国は離脱することを宣言しました。しかし、この動きに反対している14の州とプエルトリコ自治連邦区が米国気候同盟を組織し、国とは独立してパリ協定の実現に取り組もうとしています。

カリフォルニア州は、この米国気候同盟を発案し加盟している州のひとつです。かなり以前から、とても環境保護に熱心な州です。

 

十年ほど前に、カリフォルニアに行ったことがあります。そのときに見たのですが、州のいたる所に特別なレーン(車線)がありました。このレーンでは、2人以上の人が乗っている車だけしか走ることが許されていません。ガソリンの消費と排気ガスの量を減らすためです。

他のレーンが渋滞しているときも、このレーンでは比較的スムーズに走ることができます。今ではこのレーンには、2人以上の人が乗っている車とEV車などのエコカーが走ることができるそうです。

 

余談ですが、屋根に太陽電池パネルを張ったEV車が出てこないことが、私には不思議でしかたありません。

 

カリフォルニア州が環境保護に熱心な理由には、先ほどの南太平洋の国々と同じように、気候変動の影響をまともに受けているからかもしれません。

この州では干ばつの影響で水が不足しています。先月には、極端な乾燥のために大規模な山火事が起こり、亡くなられた方も出ていました。

 

バラ十字会AMORCの米国本部はカリフォルニア州のサンノゼ市というところにあります。シリコンバレーのあるところです。そして、自治体の方針に沿って、環境保護のための積極的な取り組みを行っています。

 

サンノゼ市にあるバラ十字公園では、以前は、広大な敷地に芝生が植えられていました。芝生を保つためには大量の水やりが必要とされます。2005年に始められたプロジェクトによって、この芝生は自生種の植物に植え替えられました。

この植え替えにより、年間4000万リットルの水を節約することができました。2017年の水道代に換算すると、年間630万円の節約だそうです。すごいですね。水不足のためカリフォルニア州では水道代がとても高いのです。

 

またバラ十字公園では、使用するエネルギーのすべてを太陽光発電でまかなうという、ネット・ゼロ・エネルギーと呼ばれるプロジェクトが成功しました。

公園の建物の屋根は、クール・ルーフと呼ばれる太陽光をよく反射する素材に取り替えられ、太陽光発電のパネルが設置されました。

バラ十字公園の建物に設置された太陽電池パネル

バラ十字公園の建物に設置された太陽電池パネル

 

また、冷暖房設備は、エネルギー効率の高いシステムに交換されました。

バラ十字公園にある建物の多くは1930年代に建てられたものです。ネット・ゼロ・エネルギーは、これまでは、このような古い建物では無理だとされていたのです。このプロジェクトの総費用は、電気代の削減によって、13年で取り戻すことができるそうです。

 

先ほどの水資源の節約と、このネット・ゼロ・エネルギー・プロジェクトは、極めて大きな成果を上げたことから、サンノゼ市のモデル事業に認められています。

 

これも余談ですが、もしサンノゼ市を訪れる機会があったときには、ぜひバラ十字公園を訪れてみてください。

植物でいっぱいの落ち着きのある庭と、古代エジプト博物館を楽しむことができます。博物館では、古代エジプトの多数の遺物のほか、錬金術についての展示も行われています。

「イージプシャン・ミュージアム」と言えば、地元タクシーの運転手さんの誰もが知っています。

古代エジプト博物館

古代エジプト博物館

 

さて、バラ十字会AMORCの日本本部は、米国本部に比べればとても小さな活動拠点です。しかし、環境保護への取り組みとして、ささやかですが、次のような自分たちができることに、誇りをもって取り組んでいます。

1.私も含め従業員は、夏は薄着、冬は厚着をして、冷暖房を控えめにしています(今、私の懐には、ハクキンカイロが入っています)。

2.内部文書とメモには、裏紙を用いています。

3.紙ゴミは、再生用のゴミに必ず分類しています。

4.スイッチの付いた延長コードを用いて、パソコン、共用ドライブ、プリンター、ハブなどの待機電力を必要最小限に抑えています。

 

先ほどのパリ協定の話に戻りますが、この協定では、世界の国々だけではなく、非国家アクター(自治体、都市、大学、企業)の取り組みが重視されています。

最近のNHKのニュースで紹介されていたのですが、融資や投資や株式の購入の際に、その企業の環境保護への取り組みが判断要素のひとつとされることが、世界中で一般的になっています。

ある企業の経営陣や働く人たちの、意欲が高く創造的であるかどうかということと、その企業の環境保護の意識の高さには、強い相関があるのだそうです。

 

バラ十字会AMORCは世界の約87ヵ国で活動している大きな組織です。団体として積極的に環境保護に取り組んでいかなければなりません。また、教育団体として多くの方々に環境保護の大切さを実感していただくという責務もあります。

 

そこで、神秘学(mysticism:神秘哲学)という立場から見たとき、なぜ環境保護が大切なのかをマニフェスト(宣言書)で訴え、多くの人に読んでいただく努力をしています。

日本語版はこちらになりますので、ご興味のある方はご一読ください。

マニフェスト(宣言書):『バラ十字友愛組織からあなたへの訴え

 

このマニフェストに書かれているのですが、人類が明るい未来にたどり着くために、次の3つの要素が重要だと当会は考えています。精神性の重視(spirituality:スピリチュアリティ)、人間の尊重(humanism:ヒューマニズム)、環境の保護(ecology:エコロジー)です。

 

個人的には、これに人工知能の倫理的な利用を付け加えるべきだと最近思うようになりました。自律型殺人兵器の開発を禁止するなどです。

この話は深刻な話題です。またいつか、取り上げさせていただくかもしれません。

 

以上、やや長くなりました。

今日はこの辺で。

 

また、お付き合いください。

 

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親切とお人好しについて

2017年11月10日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

立冬も過ぎましたね。東京板橋では、もう何回目かの木枯らしが吹いています。夕方帰宅するときに耳が冷たく感じます。

 

そちらはいかがでしょうか。

 

もう4、5年前の冬のことです。バラ十字会の事務所から帰宅しようとしているときに、道端の暗がりに倒れている男の人がいたのです。泥酔しているようなので、関わりにならずに、そそくさと通り過ぎようとしたのです。

 

そのとき、地元の商店街でカレーの店を開いている、おそらくインドから来ている方が通りかかったのです。そして、怪訝な目を私に向けました。彼が実際に何を思ったのかはわかりませんが、私には、同国人をなぜ助けないのかと問いかけているように思えました。急に恥ずかしくなった私は、その男性のところに戻りました。

話しかけたのですが、彼は受け答えができず、危険なほど酔っていることがわかったので、警察を呼んで保護してもらいました。

 

言い訳ではありませんが、日本、特に東京のような都市部では、最近、私だけでなく多くの人が、できるだけ他人との面倒な関わり合いを避けたいという思いが強くなっているように思います。

この傾向は日本だけではないようです。バラ十字会AMORCのフランス代表が、自身のブログにこのことについての記事を書いていますので、今日は、その翻訳をご紹介させていただきたいと思います。

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「親切について」

 

私の考えでは、親切であるということは、謙虚であること、寛大であること、忍耐強くあることと同じように、人間の大切な長所です。しかし残念なことに、最近の社会全体には、親切であることが、欠点とまでは言えないまでも、少なくともその人の弱点であると考える傾向が見られます。

親切が、お人好しであることだと考えられたり、ひどい場合には、愚かであることと同じだと考えられたりしているからでしょう。多くの人が、親切であることを疑いの目とは言わないまでも、変わっているとさえ思うようになってしまいました。

このような傾向は、ここ数十年の間に、人と人との関係が“冷たく”なってしまったことの反映であるように思われます。

 

親切とは何でしょうか。おおまかにいえば、他の人との関係において、うわべからでなく心の底から、優しく思いやりを持って行動することでしょう。さらにいえば親切とは、他の人の状況に気を配って、必要があれば助けを送ることでしょう。

つまり、他の人たちに対して無関心にならず注目を払うことが親切には必要とされます。ですから、まさに親切という人の資質には、社会を心地よく楽しいものにする働きがあります。

想像してみていただきたいのです。あらゆる人が互いに親切であるだけで、世界はどれほど変わることでしょうか。

バスに乗る高齢の女性を助ける、親切な小学生の女の子

 

年々、社会が不安定になり、個人主義が勢いを増しているため、親切には疑いの目さえ向けられるようになっています。

誰かの親切によって何らかの利益を得た人は、そのことに好ましい感情を持ち、その価値を評価する一方、親切に対して、敵意とは言わないまでも猜疑心を抱き、気を許さない人が増えています。親切に出会うと、何か“疑わしいこと”が背後に隠されているのではないかと思い不審に感じる人が多いのです。

そしてその人のことを、単なるお人好しでないのであれば偽善者であろうと考えたり、背後に何らかの利害関係があるのではないかと疑ったりします。

 

「お人好し」ということについていえば、私はこのことを、知的な能力が劣っていることの表れだとは考えません。多くの場合、お人好しだと言われる人は、他の人の欠点をあえて見ないように、他の人をあえて疑わないようにしているのです。

お人好しだと他の人から言われるような人は、おおむね自信に溢れており、本来世話好きであり、これらのことは好ましいことです。

その結果、このような人たちは、親しい人だけに対してではなく、誰に対しても親切である傾向があり、良き隣人、良き同僚、良き友人になります。バラ十字会員の多くが、まさにこのような人になろうと日々努力をしています。

女性の2人連れに道を教える若い親切な男性

 

もちろん、親切であるということは、何でも受け入れ、あらゆることを我慢することを意味しているのではありません。受け入れるべきではなく、耐えるべきではない行為というものが存在するからです。このことは特に、人の誠実さや威厳を踏みにじるような行為にあてはまります。

親切ということは、「右の頬を殴られたら、左の頬を差し出す」ことではなく、何らかの人間関係が強制されることでもなく、反対に、暴力に暴力で応じることでもありません。

親切であるということが社会で再び高く評価され、人間関係の基礎になったとしたら、どれほど素晴らしいことでしょうか。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

本稿はそのブログからの一記事。

 

△ △ △

 

ふたたび、本庄です。この記事を読んでいて思ったのですが、多くの人が親切に対して猜疑心を持つようになったのは、親切心につけこむような詐欺が増えたせいもあるように思います。

 

このような人たちは、その方法でお金を得たとしても、決して幸せにはならないということに、どうして気づかないのでしょうか。

悲しいことです。

 

カルマの法則について教えている学校はないようなので、当会が頑張らなければなりません。

 

参考記事:『カルマの法則とは』(こちらもセルジュ・ツーサンの記事です)

 

参考記事:『生まれ変わりにおけるカルマの働き

 

最後は少し暗い話題になりました。今日はこの辺で。

また、お付き合いください。

 

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オオカミは悪者?

2017年11月3日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋では、今週の木枯らしで桜などの葉がずいぶんと散り、秋の風景が冬へと変わりつつあります。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

皆さんは、ブックトーカー(Book talker)というお仕事をご存じでしょうか。図書館員や図書ボランティアの方が主にされているのですが、何冊かの本を選んでストーリーを作り、子供たちの前でお話(ブックトーク)をすることによって、本の面白さを伝える仕事です。

 

今回は、私の友人でブックトーカーをされている可児明美さんから、このブログに寄稿をいただきました。文化の日の今日は、この文章をご紹介させていただきます。

彼女が小学生にブックトークを行った内容を、書き下ろしていただいたものです。

▽ ▽ ▽

 

記事「オオカミは悪者?」

可児明美

可児 明美

みなさんは、おおかみと七匹のこやぎのお話を知っていますか?

では、赤ずきんちゃんは?

 

ふたつとも、おおかみがでてきますね。おおかみと七匹のこやぎでは、あの手この手を使って、子ヤギたちに家の扉を開けさせて、ついには家の中に押し入って、子ヤギたちを食べてしまいます。赤ずきんちゃんのおはなしでは、赤ずきんちゃんにうまいことを言って道草をさせて、先回りをして、おばあさんと赤ずきんちゃんを食べてしまいます。こういったお話の中で、オオカミは悪者になっています。乱暴で、ずるがしこくて、欲張りで、油断するとこちらが食べられてしまいます。

 

……でも、ほんとうにオオカミは、そんな悪者なのでしょうか? 今日は、「オオカミは悪者?」というテーマで本を紹介します。

森の中の白オオカミ

 

これまでの人間の歴史の中で、世界のいろいろなところで、人間とオオカミとの戦いがありました。人間が原野を切り開いて農場をつくると、そこで飼っている牛や馬がオオカミに襲われました。家畜が襲われると、人間は困りますよね。そこでオオカミ狩りというのも行われました。

 

この絵本、『エゾオオカミ物語』(あべ弘士著、講談社)に出てくるお話しは、日本で起きたことです。昔、北海道の原野にも、オオカミが住んでいました。エゾオオカミとエゾシカは、バランスを保って共存していました。この土地に古くから住んでいたアイヌの人々も、平和に共存していました。ところが・・・、あるときエゾシカの数が激減しました。その時、ちょうど内地からたくさんの人間がやってきて、開拓がはじまりました。餌がなくなったオオカミは、家畜を襲い、家畜を襲われた人間はオオカミを狩りました。そしてとうとう、北海道の地にオオカミは一頭もみられなくなりました。今から100年ほど前のことでした……。

 

さあ、北海道にいたオオカミは、もういなくなってしまいました。では、アメリカではどうでしょうか? アメリカの開拓時代にも、人間とオオカミの戦いの歴史がありました。アーネスト・トンプソン・シートンという人がいます。『シートン動物記』を書いた人です。シートンも実際にオオカミを狩る仕事をしていたことがあります。シートンは、オオカミ退治の依頼を受けて、カランポーという場所にやってきます。そこには、ロボという名前で呼ばれていたオオカミがいました。

Ernest Thompson Seton

アーネスト・T・シートン by Bain News Service; cropped and uploaded by JGHowes [Public domain], via Wikimedia Commons

 

地元の人からオオカミ王と呼ばれるほどのロボは、とても大きかったんですね。大きいオオカミの足跡の大きさは、13センチほどもあります。ですが、ロボの足はさらに大きく14センチくらいあったのです。普通のオオカミとロボの大きさを比べると、ロボは1.5倍くらいあります。

 

ロボはとても賢くて、毒エサや罠にはかかりません。賞金稼ぎのハンターたちが何人挑戦しても、ロボは捕まりません。ロボの群れの大好物は、選りすぐった一歳の雌牛を殺して、柔らかい部分だけを食べることでした。牧場で牛を育てている人たちは、そんなことをされたら困ってしまいますね。……そんなところにやってきたシートンですが、ちいさいころから、動物や昆虫や小鳥などの生き物に強く心惹かれる子どもだったそうです。また、絵も上手で、シートンのお父さんは、シートンが立派な画家になると思っていたほどでした。つまり、シートンは動物が大好きで、物事をよく観察する人だったんですね。

 

シートンはまず、馬に乗ってカウボーイに案内してもらって、その土地をくわしく見て回りました。クルンパ川を中心とした四つの州にまたがる広い一帯がロボの縄張りでした。シートンは、ロボがどのように暮らしているかなど、いろいろ観察して、なんとかとらえようとしますが、なかなかうまくいきません。あるとき、カウボーイのひとりが言った一言で、シートンはある作戦を思いつき、実行に移します。作戦は成功しました。その作戦に利用したのは、オオカミの持つ、あるすばらしい性質でした。シートンの作戦とは、どんな作戦だったのでしょうか、そして、捕まってしまったロボには、どんな運命が待っていたのでしょうか……。

 

シートンは、ロボを捕まえる仕事を引き受けたとき、大喜びで受けたのではありませんでした。「私はロボをとらえることに疑問と矛盾を感じながらも、ロボをもっと知りたいと思いました。」と本『シートン動物記 オオカミ王ロボ』(アーネスト・T・シートン著、今泉吉晴訳、童心社)にも書いてあります。

 

また、シートンは他にもいろいろな動物のお話を書いています。

 

下町で生まれたノラネコのお話では『シートン動物記 下町のネコ キティ』(アーネスト・T・シートン著、今泉吉晴訳、童心社)、お腹を空かせてさまよっていた生活から、ひょんなことから、猫の品評会に出されてお金持ちの家の猫になります。でも、自由を求めたキティは、そこから逃げ出してしまいます。いろいろな目にあったキティですが、最後には申し分のない安定した暮らしを手に入れます。この本の最後のほうには、キティがついに手にした幸せな状態のことが書かれています。自分が何を求めているのかがはっきりわかるようになってから、求めているものが手に入るようになったのだと。これはもしかしたらシートンが、自身の人生で実感していたことかもしれません……。

 

どのお話も、シートンが動物や自然をよく観察して、深く理解して書かれています。シートンは動物の足跡の観察だけでも、こうして一冊の本『シートンの自然観察』(E.T.シートン著、どうぶつ社)ができるほど、自然を愛し、よくみて、それを多くの人にうまく伝えることができた人でした。

 

そんなシートンの子ども時代はどんなものだったのでしょうか、そしてどのような人生を送ったのでしょうか? どうしてこれほど動物のことをたくさん、詳しく、的確に、わかりやすく描くことができたのでしょうか? そのひみつはこうしたシートンの伝記『子どもに愛されたナチュラリスト シートン』(今泉吉晴著、福音館書店)、『シートン自叙伝』(シートン動物記別巻、アーネスト・T・シートン著、集英社)からわかるかもしれません……。

おわり

紹介した本

  • 『エゾオオカミ物語』(あべ弘士著、講談社)
  • 『シートン動物記 オオカミ王ロボ』(アーネスト・T・シートン著、今泉吉晴訳、童心社)
  • 『シートン動物記 下町のネコ キティ』(アーネスト・T・シートン著、今泉吉晴訳、童心社)
  • 『シートンの自然観察』(E.T.シートン著、どうぶつ社)
  • 『子どもに愛されたナチュラリスト シートン』(今泉吉晴著、福音館書店)
  • 『シートン自叙伝』(シートン動物記別巻、アーネスト・T・シートン著、集英社)

 

△ △ △

 

ふたたび、本庄です。今週は、国内にも国外にも暗いニュースが多かったですが、この文章を読んで、心がほのぼのと温かくなりました。こんなお話が聞ける子供たちは幸せですね。

 

今日はこの辺で、

ではまた。

 

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謎の遺物

2017年10月27日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋では、昨日から秋の気持ちの良い晴れ間が広がっていますが、それも今日までのようです。寒くなってきましたね。

 

いかがお過ごしでしょうか。

 

先日、北海道の支笏湖で仕事があり、その帰途に、千歳市埋蔵文化財センターという施設を見学することができました。

最近、縄文時代に興味を持ち、この展示館に目を付けていたのです。

千歳市では、新空港の建設にともなって大規模な発掘調査が行われたことで、市内だけでおよそ300カ所もの遺跡が見つかっており、その多くが縄文時代の遺跡です。

 

皆さんは、縄文時代というと何を思い浮かべるでしょうか。

土器でしょうか土偶でしょうか。竪穴住居でしょうか。

 

縄文土器の代表例に、まるで炎が広がるような装飾が上部に施された火焔型と呼ばれる土器があります。新潟県長岡市で発見されたものが特に有名です。

 

Jomon Vessel with Flame-like Ornamentation, attributed provenance Umataka, Nagaoka-shi, Niigata, Jomon period, 3000-2000 BC - Tokyo National Museum - DSC05620

火焔型土器

 

芸術家の岡本太郎さんは、上野の国立博物館でこの土器に出会って、縄文文化の魅力に取り付かれ、生涯研究を続けていたそうです。

 

北海道の南茅部町(現在の函館市)からは中が空洞になった土偶が見つかり、茅空(カックウ)という愛称で呼ばれ、愛らしいとも怪しいとも感じられるその奇妙な形から、縄文文化のシンボル的存在になっています。

Hollow Dogu Kakku

カックウという愛称で呼ばれている土偶

 

縄文時代は謎だらけです。火焔型土器も土偶も、いったい何に使われたのかが分かっていません。

しかも、他にはまったく見られない独特のデザインをしていて、岡本太郎さんのような芸術家ではなくても、いつまで見ていても見飽きないと語る人たちが多数いますし、私もそう感じます。

 

話を千歳市の埋蔵文化財センターに戻します。

千歳線のサッポロビール庭園駅から、携帯電話でタクシーを呼んで15分ほど走ったところに、建物がありました。

元は小中学校の校舎だったところを改装して作られた展示館なのですが、とても落ち着いた雰囲気の展示室でした。他にはほとんど参観者がいなかったので、じっくりと見て回ることができました。

 

この展示館には、旧石器時代の文化や、地元地域の変遷の説明もあったのですが、何といっても目を引いたのは、千歳市美々4遺跡というところから出土した「動物型土製品」と呼ばれる遺物と、千歳市ママチ遺跡から出土した「土面」でした。

 

次の写真をご覧ください。

「ビビちゃん」という愛称の動物型土製品(写真はクリックすると拡大できます)

 

この動物型土製品は、出土した遺跡の名前と愛らしさから「ビビちゃん」と呼ばれています。

まさに、謎だらけ、謎そのもののような遺物ではないでしょうか。写真を見れば、これが大げさな言い方でないことがお分かりいただけることと思います。

 

ふっくらと膨らんだ中空の胴体には、三角形の股のような部分を介して、3本指(?)の両足のような部分があり、5本の指のようなものがついた2つのヒレ(耳?)と、前後にならぶ角と鼻先が突き出た小さな頭のようなものがついています。

 

しかし、胴体の部分には口のように見える大きな穴が空いていて、くっきりと描かれた文様と合わせて考えると、ここが顔のようにも見えます。

すると、先ほどの頭のような部分は、一風変わった、ちょんまげのようにも思えてきます。

 

いったい、これは何なのでしょうか。

 

専門家の間でも、意見がまったく定まっていないようで、「動物型土製品」という命名にも、そのことが表れています。

水鳥、ムササビ、亀だという人も、トド、オットセイ、アザラシのような海獣だという人も、立ち上がったクマだという人も、人間だという人も、空想上の動物だという人もいます。

 

用途についてもさっぱり分かっておらず、香炉、笛、狩猟の成功を祈るための儀式用具などの説があります。

この遺物を発掘した考古学者の大島直行さんは、「月の水」を溜める容器だとしています(『月と蛇と縄文人』、寿郎社、2014年)。

 

土面の方も、見れば見るほど実に怪しい遺物です。先ほどの動物型土製品もそうですが、夢に、しかも悪夢に出てきそうです。

(写真はクリックすると拡大できます)

 

展示室の解説には、縄文晩期のお墓のそばで見つかった出土品で、墓に立てられた柱に付けられていたと想像されると書かれていました。

 

いったいどのような思いで何のために、ビビちゃんやこのお面を、縄文人は作り、用いたのでしょうか。

 

このような遺物を見ていると、古代人は、現代人の私たちとは、まったく異なる物の見方、考え方をしていたのではないかと感じます。

私にはまだ十分に理解できていないのですが、幾人かの民俗学者は、その際のキーワードは、「シンボリズム」と「レトリック」だとしています。

 

参考記事:『花という象徴

 

この視点から、たとえばネリー・ナウマンというドイツの民俗学者は、縄文時代の精神文化と、環太平洋の他の文化との関連を探究しています。

 

千歳市の埋蔵文化財センターで、展示品に感じた縄文文化への驚きをお伝えしたく思い、今日は、ややまとまりのない話をさせていただきました。

古代人の文化、特に縄文文化については、これからも調べて、もし面白いことが分かったら、またお伝えさせていただきたく思います。

 

では、今日はこの辺で。

 

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怒りの葡萄 -文芸作品を神秘学的に読み解く7

2017年10月20日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

この数日、東京板橋では雨が降り続いています。

 

いかがお過ごしでしょうか。台風21号が心配ですね。

 

さて、聖徳太子の十七条憲法は「和を以て貴しと為す」で始まるそうですが、それ以降の多くの時代に日本では、人と人の「和」ということが、社会で特に大切にされてきたのではないかと思います。

しかし、このことには、ネガティブな側面とポジティブな側面の両方があるのではと、最近、考えていたのです。

 

ネガティブな側面としては、創造性や起業家精神を押しとどめてしまったり、自由な議論を妨げてしまったりする場合があるということが考えられます。

「出る杭は打たれる」とか、「物言えば唇寒し秋の風」ですね。

 

一方でポジティブな側面としては、これはまだ考えている最中なので、あまり論理的に説明できないのですが、「和」が社会的な絆、言葉を超えた次元の理解の基礎として働き、それが元になって、繊細な文化が育まれてきたのではないだろうかということです。

 

このようなことが、最近つらつらと、とりとめもなく頭の中に巡っていたのです。

 

すると友人から、このブログへの寄稿記事が届いたのです。読んでびっくり! アメリカの作家スタインベックの小説を題材にして、「一つ」、「皆が一緒」という言葉で、この話題がしっかりと取り上げられていました。

メールでこのことを彼に話すと、「シンクロニシティ」ですねと言われました。

 

今回は、その記事をご紹介させていただきます。

 

参考記事(前回の寄稿):文芸作品を神秘学的に読み解く(6)『星の王子さま』

 

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(7)

『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath)

ジョン・スタインベック著(John Ernst Steinbeck)

森和久のポートレート

森 和久

 

アメリカ人作家ジョン・スタインベックの1939年の作品です。舞台は1930年代のオクラホマ州。ここに住む貧しい農家ジョード家を中心とした物語です。

John Steinbeck 1962
ジョン・スタインベック ノーベル賞受賞(1962年)当時
By Nobel Foundation [Public domain], via Wikimedia Commons

 

大砂嵐が起こり大凶作になり、そして地主に地代を払えなくなり、一家は否応なく、果実がたわわに実るとされる「夢のカリフォルニア」へと旅立ちます。そしてやっとの思いでカリフォルニアに着くのですが…

 

殺人を犯して刑務所に入っていた長男のトム・ジョードが仮出所して実家に向かって旅しているところからこの物語は始まります。

このことからもわかるように主人公一家を始めそれを取り巻く人々も決して清廉な人たちばかりではなく、ときには粗雑さもさらけ出します。作者はそんな一家の生業(なりわい)をしっかりと描写していきます。

 

さて、神秘学的なポイントを3つ取り上げてみましょう。一つ目は『人に与える』ということについてです。特徴的な2つの場面を見てみましょう。

トムが刑務所から仮出所して帰ってみたら、我が家はなくなっており、食べるものもありません。途中で出会って道連れになった元説教師と二人で途方に暮れてしまいます。

そこへもう一人、男がやってきます。その男は家族がカリフォルニアへ向かった後も、一人残って蛙やネズミを喰って生き延びています。

彼はこの日たまたまウサギを罠で仕留めました。しかし彼は、やっと手にしたこの獲物を二人に分けてやります。

 

 

また、家を追い出され一時的に伯父の家に寄宿し、食べ物がなくなってきたジョード一家ですが、ある時、父親が母親に「見知らぬ二人連れが一口何か食べさせてほしいと言っている。どうしようか?」と訊くと、

母親は、気持ちのよい静かで落ち着いた声、親しげに高ぶることのない声で答えます、「入れてやんなさいよ。食べ物はたくさん作ったから」と。

自分も貧しいが、他の人が困っていたら助け合うのは当たり前のこと。この思想は全編を通して貫かれています。

 

二つ目は『正義』について。次の場面を見てみましょう。

見知らぬトラクターがやってきて、畑を耕し始めます。まだ立ち退かない農家がいれば早く立ち去れと冷たく言い放ちます。大規模農場を作るために地主が送り込んだのです。

トラクターを運転していたのは、やはり小作農だった近所の若者でした。その時のシーンを一部見てみましょう。

 

農民がトラクターの運転手に言います、「おい、おまえはデービスの息子じゃないか」

運転手は答えます、「そうだよ」

「それなのに何でこんな仕事をやっているんだ? この土地のものに対して」

「一日3ドルになるからさ。俺は妻も子どもも養わなくちゃならない」

「しかし、おまえが一日3ドル稼ぐために、15も20もの家族が路頭に迷うことになるんだ。それは良いことじゃないだろう」

 

「そんなことは考えてられないね。子どもを養わなくちゃならないからさ」

「そうしたら俺はライフルでもっておまえを追い払ってやるぜ」

「俺にはどうしようもないんだよ。俺を殺しても別の男がトラクターでやってきて、あんたの家をぶっ潰してしまうだろうよ」

 

「だったら俺は誰を相手にしたら良いんだ?」

「知らないね。相手なんていないんじゃないか。とにかく俺が受けた命令を教えただけだよ」

 

このトラクターの男の主張や行動は理にかなっているのでしょうか。彼の言っていることに正義はあるのでしょうか。

オクラホマ州の牧場(現在)

オクラホマ州の牧場(現在)

 

この2つのポイントが通奏低音のように流れながら物語は進んでいきます。

しかしジョード家の父親は、「このオクラホマの土地は、祖父がインディアンを追い出して自分のものにした。そして父親の俺が開墾したんだ。だからジョード家のものだ」と主張しています。

またカリフォルニアについては別の人がこう述べています。

「カリフォルニアは、元々はスペイン人が住んでいたんだ。後から来たアメリカ人がスペイン人を追い出して奪った土地なんだ。だから今の地主たちは、後からやってくるオクラホマ人たちに盗まれ乗っ取られると思っているんだよ。」

 

著者はアメリカ社会そして人類全体の潮流をも投影していると言えるでしょう。人間が陥ってしまう、もしくは元々内部に秘めているエゴをもさらけ出します。

そんな中、巨大な歴史のうねりの中でも決して揺るがない「人間性」への信頼が読み取れます。それすらなくなったら私たち人類は崩壊してしまうでしょう。

 

3つ目は『合一』ということについて。次の場面を見てみましょう。

 

皆に請われて、元説教師は、「説教師ではなくなったから説教はできない」と言いながら、オクラホマでの最後の食事の祈りを始めます。

いわば最後の晩餐です。実際彼はイエス・キリストを引き合いに出しています。その中で彼はこう言っています。

 

「~ある時私は疲れ果ててさまよい歩いていた。魂までがすっかり疲れ切っていた。そして、どうにもならないという気持ちで荒野へ出て行った。太陽が昇るのを見て、そして沈むのを見た。」

「時折お祈りもした。そこに丘があり、そこに私がいた。私と丘はもはや別々のものではなかった。一つになっていた。そしてその一つであることが神聖(holy)だった。」

 

「そして知った。私たちは一つになっている時、神聖なんだ。人類は一つのものになった時、神聖なんだということを。」

「自分勝手なことをやり出したら、それは神聖ではなくなる。でも皆が一緒というのではなく、いうなれば一人が大きな全体(何もかもthe whole shebang)に結びつくということ。これが正しいことで、神聖なんだ。」

 

重要な点は「皆が一緒になることではない」ということです。「大きな全体につながっていること」こそが神聖であると述べています。この部分は一種の悟りにも近い状態だったのではないでしょうか。

 

カリフォルニアには着いたけれども赤貧と失意のどん底に落ち込み、櫛の歯が欠けるように家族も減っていくジョード一家。

ついには住んでいた家も洪水に襲われ、娘の「シャロンのバラ」(Rose of Sharon)は子どもを死産してしまいます。

 

一家は洪水から命からがら逃げ出し、近くにあったみすぼらしい納屋にたどり着きます。そこには見知らぬ瀕死の男とその子どもがいました。

その男は何も口にすることができず、死の影が忍び寄っていました。そしてシャロンのバラはその男を抱き寄せ自分の乳房(ちぶさ)を含ませてあげます。

彼女の指が優しく彼の頭を撫でます。彼女は頭を上げ納屋を見回し、唇を閉じ神秘的な(mysteriously)笑みを浮かべます。

 

シャロンのバラのこの微笑みは、「生」への揺るぎない希望なのでしょう。

 

「シャロンのバラ」とはとても象徴的な名前です。キリスト教の聖書の中に出てくる言葉から名付けられたのでしょう。和名はムクゲです。

春一番に咲く花で、「神(創造主)と結ばれ死から命へと甦らしめたもの」を表します。つまり輪廻転生につながります。

また「シャロン」は元来、ヘブライ語で「森」を意味する言葉ということで、キリスト教世界では肥沃な桃源郷を表すようです。まさにこの物語の象徴なのです。

ムクゲの花

ムクゲの花

 

△ △ △

 

ふたたび本庄です。お楽しみいただけたでしょうか。

 

上の文章の最後がキリスト教の話題で終わっていましたので、念のため付け加えておきますが、バラ十字会は神秘学(神秘哲学:mysticism)の教育団体であり、あらゆる宗教から独立した立場を保っています。

 

私は『怒りの葡萄』をまだ読んだことがありません。とても興味を引かれました。あなたはいかがでしたでしょうか。

では、今日はこの辺で。

 

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