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細胞の意識について

2017年1月20日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋は寒い一日になっています。北国の人には笑われそうですが、最高気温が4度だと朝の天気予報で聞いただけで、身震いしてしまいます。

いかがお過ごしでしょうか。

 

たびたび話題にしていることですが、現代社会には物質主義と呼ばれる考え方が広がっています。

参考記事:『バラ十字会AMORCのマニフェスト(宣言書)のご紹介

 

物質主義というと、やや難しく感じますが、その代表的な考え方は、人とは、単に物質でできた肉体だとすることです。端的に言えば、人間のことを、とてもよくできたロボットのようなものだと考えるわけです。

この考え方からは、人の脳は、幼児期の体験や遺伝などによって、人工知能のようにプログラミングされたものであり、人の行動は、このプログラムによって決まってしまっているという、いわゆる決定論と呼ばれるものが生じがちです。

 

モルモットやハトなどの研究や、ノイローゼなどの原因の分析を主な課題にしていた古い時代の心理学者の多くは、このような決定論に近い考え方を唱えていました。

ところがこの決定論は、事実と異なるばかりか、かなりの害があることが知られています。というのも、地道な努力をすることを妨げる、言い訳に繋がってしまいやすいところがあるからです。

たとえば、「人前に出ると上がってしまうのは、お父さんとお母さんの育て方が悪かったからだ」などです。

 

一方で、さまざまな神秘学派や、現代の心理学の多くでは、人は自分の行動を自由に決めることができる、つまり人間には自由意志があると考えています。

別の言い方をするならば、私たち人間は、外の世界から与えられた刺激に対して、どのように反応するかを、自分の価値観に基づいて主体的に選ぶことができると考えるわけです。

 

このような主体性のもとになっているのは、人間の意識だということができます。

最近、このブログで何回か取り上げている人物ですが、米国の心理学者のケン・ウィルバーは、禅の体験をもとに、瞑想を重ねていくと人間の意識の状態は、粗(Gross)領域から、微細(Subtle)領域、元因(Causal)領域、トゥーリヤ(Turiya)領域と深まっていくとしています。

ちなみにこの4つの意識は、バラ十字会では、客観的意識、サイキック意識、ソウル意識、宇宙意識と呼ばれています。

参考記事:『心の構造について

 

 

先日、バラ十字会AMORCのフランス代表が、臓器移植を話題にしたブログ記事で、これらの意識について述べていますので、その翻訳をご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

記事「細胞の意識について」

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

 

臓器の移植を受けた後に、患者が、今までとは異なる感情を抱いたり、今までとは異なる印象を受けたりすることがあります。

以前は特に好みではなかった食べ物が突然大好きになったり、ある種の活動に興味を抱いたり、ある光景をどこか別の場所ですでに見たことがあるように感じるなどです。

容易に想像できることですが、このような感情や印象は、原因を理解することもコントロールすることも難しいので、移植を受けた人の心が動揺してしまうことがあります。

 

常識には反するかもしれませんが、このような“現象”は珍しいことではありません。

しかし、誤解されることを懸念して、このことについて話しをすることを望まない人が多くいます。

特に、物質主義や合理主義の傾向が強い人にこの話しをすると、誤解が生じやすいように思われます。

科学界の一般的な傾向として、この種の事例は、できれば避けたい話題として扱われたり、極めて疑わしい情報であるとさえ見なされたりしています。

というのも、人間とはどのようなものであるかという科学一般の考え方とは相容れないように感じられるからです。

 

科学者の多くは人間のことを、物質でできた身体だけから構成されていると考え、物理化学的な一連のプロセスだけによって、人の命が保たれていると考えています。

そして、印象や感覚を人が感じることのできるのは、その人の脳内の意識のおかげであり、脳だけが人間の意識が存在する器官であるという結論を出している人もいます。

“思い込み”とまでは言わないとしても、この考え方に基づくならば、移植のために取り出された臓器は、単なる肉のかたまりであることになり、そこには生命力も意識もなく、移植を受けた人の生理学的な働きだけによって、臓器の活動が再開されることになります。

 

バラ十字会の哲学の観点からいうと、意識は脳だけにあるのではありませんし、脳の物理化学的な働きだけから生み出されているものでもありません。

意識には、脳によって生じる物についての意識だけでなく、サイキックな意識とスピリチュアルな意識があり、この2つの意識は身体のすべての器官と細胞を満たしています。

そのため、人のすべての器官にも細胞にも意識があり、その意識の働きによって記憶があります。

ですから、私たちの細胞や器官にはそれ自体の記憶があり、この記憶は、細胞や器官の体内での活動に役立っているだけでなく、味覚や性癖や興味や、より広くいえば、その人の個性に影響を与えています。

ミカヅキモの細胞

ミカヅキモの細胞

 

 

もしこのことを認めるならば、ある臓器が誰かから取り出されて、別の人に移植されたときに、その臓器にはドナーの個性を作り上げていた記憶の一部が保たれていて、それが“薄められた”形で、移植された人の個性に影響を与えるというメカニズムを理解することができます。

しかしいかなる場合にも、移植を受けた人の自由意志がドナーの意志に置き換えられたり、意図に反した行動に駆り立てられたりすることはあり得ません。

移植の影響は、多くの場合すぐには表れませんが、数週間か数ヵ月が経つと、普通ではない感覚や印象が生じ、心が不安定になることがあります。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

 

やや難しくなりますが、少し補足をします。

ドイツの神秘家のルドルフ・シュタイナーは、講演『人間という多層構造』(The Manifold Constitution of the Human Being, 1907)で、人間は、肉体、エーテル体、アストラル体という3つの体が重ね合わされたものだとしています。

 

 

バラ十字会では、この3つのことを、肉体、サイキック体、ソウル(スピリチュアル体)と呼んでいます。サイキック体は、生命力に深く関わる人間の部分で、ソウルは人間の不滅の核です。

物についての意識は脳によって生じますが、上の文章でサイキックな意識、スピリチュアルな意識と呼ばれているものは、それぞれ、サイキック体とソウルによって生じています。

 

いかがでしたでしょうか。最後はやや立ち入った話題になりました。今回は、この辺りで。

ではまた

 

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宇宙という名の楽器(その1)

2017年1月13日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋は晴天が続いていますが、朝がとくにしんしんと冷え、顔を洗う水が冷たく感じます。

そちらはいかがでしょうか。

 

このブログも今回が138回目と、始めてから早くも2年半になりました。私の話ばかりが続いて、退屈されている方がいらっしゃるといけないと思い、親しい会員の方々に、何か書いてくれませんかとお願いをしました。

そして、山形にお住まいの、地元のお祭りが三度の飯よりも好きという当会の理事の方から、音楽についての文章をお寄せいただきました。

▽ ▽ ▽

『宇宙という名の楽器』【その1】

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

 

つい先日、寄稿の依頼の声掛けをいただきました。直ぐに『はい!!』と二つ返事で引き受けたものの、それではテーマは何にしようか?

その時、突然頭に浮かんだのが『民族音楽(楽器)と西洋音楽12音階』という言葉です。一瞬『ん?何故こんな言葉が浮かんできたのか……?』と思いました。しかし、その時は深く考えずに行動を開始。

 

さて、音楽における音階の概念を考え出したのは哲学者ピタゴラスと言われています。このことに関しての大体の話は知っていましたが、もっと詳しく調べてみようと図書館に直行。

 

ピタゴラスに関しての本でしたら哲学のコーナーなのでしょうが……。つい何時もの習慣(?)で足は音楽のコーナーに……。そこでふと目に留まったのが『音楽と人間と宇宙』という本です。次の瞬間『これは使える!!』と判断。早速に借り受け読んでみました。

すると『な、何だ、これは!?』といった内容でした。タイトル通りと言えばそうでしょうが、音楽を宇宙論で解釈しようというのです。宇宙物理学者の説によれば宇宙はそれ自体が音楽を奏でているというのです(宇宙自体が巨大な楽器?)。これは古代ギリシャ人が天球の音楽と呼んだもので現代では『ひも理論における振動についての仮定』となるのだそうです。

 

そこで又も図書館に直行。早速にひも理論の解説書を読みまくりましたが、いかんせんアナログ世代の私には中々理解出来ません。

元々の最初の目的は民族音楽と西洋音楽という似て非なるもの(非て似なる?)を一つの土俵でぶつけ合わせてみようと思ったのですが、事態は思わぬ方法に暴走(?)してしまった様です。

 

正に出口の無い迷路に迷い込んこんでしまった心境です。こうなったなら無理やり宇宙論をも巻き込んで元々のテーマに軌道修正と行こうと思います。さて、これからどうなるものやら、私にも分かりません。

* * *

それでは、宇宙を音楽を奏でる巨大な楽器と解釈することにして先に進みましょう。バラ十字哲学の基本原理に『上のように下にも』という言葉が有ります。

参考記事:『エメラルド・タブレットとは

 

これを人間に当てはめますと、人間は大宇宙に対して小宇宙、つまり人間は宇宙の原理法則が凝縮された活きる存在となります。そう考えますと宇宙に内在する音楽情報のすべてが、人間の内部にも存在することになります。

 

さて、それを念頭に置き西洋音楽(現代音楽)の話題に移りましょう。西洋音楽はド・ド#・レ・レ#・ミ・ファ・ファ#・ソ・ソ#・ラ・ラ#・シの12種類の音、さらにA=440ヘルツを基準音、つまりピアノ鍵盤中央のラの音を440ヘルツに調律するのが世界基準となっています。

ところがモーツァルトが活躍していた頃の時代の基準音は今より半音位低かったと言われています。実は、その頃基準音の楽器として使われていたチェンバロのラ音をA=440ヘルツに調律しようとすると音源のスチール弦が切れてしまう(当時のスチール弦の耐久性に問題があったため)危険性があったからだそうです(一説です、他の理由もあったと思います)。

 

現代では441ヘルツあるいはもう少し上を基準音としているオーケストラも存在します。その訳は440ヘルツより少し音程を上げれば華やかな響きとなるからだそうです(現代人の好みの変化なのでしょうか?)。それでは440ヘルツに関しての話題をもうひとつ、人間の新生児の産声は440ヘルツの音程とか……。(続く)

△ △ △

「オギャー、オギャー」がラ音だとは驚きですね。たまたま今日の朝のニュースで、秋田の「なまはげ」の話題が紹介されていました。なまはげと赤ちゃんがいれば、オーケストラの音合わせができますね(できません!)。

 

次回は、バラ十字会のフランス代表の方のブログからの記事をお届けしたく思います。来週もお付き合いいただければ嬉しく思います。

ではまた。

 

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自分とは何か

2017年1月6日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

新年明けましておめでとうございます。

年末年始は、どのようにお過ごしでしたでしょうか。

 

さて、神秘学(mysticism:神秘主義)は、「自分探し」の旅だと言われることがあります。

ところがこの言葉には、微妙に誤解を受けやすいところがあり、説明が必要です。

 

通常「自分探し」というと、自分の個性として際立っていて、望ましいと自分が感じる部分を見つけ出して、その部分を磨くことによって、自身を成長させ、社会に貢献するというようなことを、多くの場合意味するのではないでしょうか。

このような行いは人生の輝かしい一面であり素晴しい取り組みですが、これから説明するように、神秘学でいうところの自分探しは、それとはやや異なる意味を持っています。

 

日常私たちは、「自分」とは何だと考えているでしょうか。まず体があって、背が高かったり低かったり、太っていたりやせていたり、肌の色が白かったり黒かったり黄色だったりします。また体には、暑さ寒さに強かったり、そうでなかったり、運動が得意だったり不得手だったりなど、多くの特徴があります。

 

私たちには喜怒哀楽などの感情もあります。そして、どのようなときにいずれの感情を感じるかという傾向があります。たとえば、ある人はお気に入りのジャズを聴いたときにはいつでも深い喜びを感じることでしょうが、他の人はロックに感動したり、音楽にはあまり心を動かされないけれども、森の中を歩きながら新鮮な空気を呼吸しているときの自然との一体感に深い喜びを感じるという人もいることでしょう。

また、感覚や体験よりも思考を好み、哲学的な思索や、数学などの研究に深い喜びを見いだす傾向を持つ人もいます。

森の中を歩く人

 

このような身体や感情、思考の特徴の組み合わせが、多くの場合、私たちが「自分」と呼んでいるものにあたるのではないでしょうか。

 

一方で神秘学では、身体や感情、思考に表れている特徴・傾向のことを「外的な自己」(outer self)と呼んでいます。エゴと呼ぶこともあります。そして、心の奥深くにある「内的な自己」(Inner Self)と区別して考えています。

 

私たちの心には、時々刻々と、さまざまなものが生じては消えていきます。外界のイメージ、記憶、想像、思考、そして、それに刺激されて生じる感情などです。川の流れのように次々と心に生じるこれらのものを、映画館でスクリーンに投影されている映画にたとえるとすると、私たちの心の奥深くにある内的な自己は、それらが映し出されているスクリーンのようなものだということができます。

生まれてから今までの自分は、常に同じ自分自身です。ですから自分自身とは、変化する外的な自己ではなく、変化しない内的な自己にあたると考えることができます。

 

しかし、通常私たちはこの2つの自己を区別することなく、漠然とどちらも全体として自分だと感じています。しかし、バラ十字会の神秘学や現代の心理学では、この2つの区別がとても重要だということが知られています。

 

なぜでしょうか。

 

説明が少し難しくなりますが、私たち人間の心には、自分自身と同一化しているものに支配されてしまい、自分自身とは別のものだと感じているものだけを、支配しコントロールすることができるという性質があるからです。

自分自身と同一化するとは、あるものと自分自身のことを心理的に同じものだと感じるということです。

 

具体的にはどのようなことでしょうか。

たとえば、2歳ぐらいの子供のことを思い浮かべてみましょう。通常この時期の子供は、体や体の感覚と自分自身を同一化しています。

そして、お腹が空けば、その状態から生じる不快さに支配され、反対に、おいしい物を食べたときには、そこから生じる快感に支配されます。

ですから、精神のこのような発達段階にある子供の喜びは、さまざまな生理的な快さと不快さに完全に左右されます。このぐらいの年の子供が食事をしているときには、食事をすることに完全にとらわれている様子を見てとることができます。

 

別の例を挙げましょう。AさんとBさんが会議で議論しているとしましょう。Aさんがある意見を言い、Bさんがその意見に反論したとします。議論なのですから、このようなことは当然あり得ることです。

ところが、もしAさんが自分自身と自分の意見を心理的に同じものだと見なして(同一化して)いると、Bさんの反論によって自分自身が傷つけられたと感じ、強い反発が生じて冷静な議論の妨げになることがあります。

Aさんは同一化が原因で、自分の意見への執着に支配されてしまっていると言うことができます。

 

人は精神的な発達を遂げるにつれて、体の状態や思考や感情と自分自身を区別(脱同一化)できるようになり、それとともに、生理的な快さと不快さ、欲望や感情などをコントロールできるようになり、意志の自由を発揮することができるようになります。

 

イタリア人の心理学者ロベルト・アサジョーリは、脱同一化というこの原理を用いて、自由と意志の力を育むためのテクニックを作りました。

まず、ひとりきりになれる静かな場所に行きます。そしてリラックスをして、次のように心の中で、あるいは声に出して唱えます。

「わたしにはからだがあるが、わたしはからだそのものではない。わたしのからだは健康や病気のいろいろな状態にあるかもしれない、くつろいでいるかも疲れているかもしれない。しかし、それは、わたしの自己、わたしのほんとうの『わたし』をどうすることもできない。わたしのからだは、外の世界での経験と行動の大切な道具であるが、しかし単なる道具だ。わたしは、それを大切に扱う。それを健康に保つように努力する。しかし、それはわたし自身ではない。わたしには、からだがある。しかし、わたしはからだそのものではない。」(『トランスパーソナル心理学』、岡野守也、青土社、P126-127)

 

同じように、自分の感情や欲望についても、「わたし」ではないという脱同一化を行なうことができます。実際に試していただけると、このテクニック特有のすがすがしさと、なんともいえない自由が感じられることと思います。

このような練習を繰り返すことで、私たちは「内的な自己」を明確にして、自身の自由と意志の力を強めていくことができます。

 

以前に話題にしたことがありますが、生まれたときに始まる個人の意識のレベルの発達は、歴史上での人類の意識のレベルの発達段階を繰り返すように進んでいくことが知られています。

そして、アメリカの心理学者ケン・ウィルバーによれば、現代では成人の多くが次の2つの段階のいずれかにあります。

 

Level 4:神話的伝統主義(Mythic Tradition)

Level 5:理性的現代(Rational Modern)

 

参考記事:「人類と子供の心の進歩の段階

 

このうちの神話的伝統主義の段階にある人は、自分の属する集団、民族、神話、伝統などに自分自身を同一化する傾向があります。そのため、自分の属する集団とは異なる慣習を持つ人たちの行ないが、たとえ利害関係がなくても自分たちを否定しているように感じ、過激な対立が生じてしまうことがあります。

また、理性的現代の段階にある人は、自分の優れた点、自分の達成したことなどと自分自身を同一化していることが多いといわれています。このような人たちには、競争に勝つことへの執着に支配されて、競争に負けた人や、そもそも競争に参加していない人たち(や動物たち)への共感や思いやりを欠くことが見受けられます。

 

これらの同一化は多くの人の行動に影響を与え、大きくいえばそこから、宗教原理主義、過度の個人主義、環境破壊、先進国と途上国の格差などの現代の深刻な問題が生じています。

 

大部分の人が、世界の現状を憂いていますが、それを変えるために何をしたら良いかは、簡単に分かることではないように思えます。

 

しかし、「世界に変化を望むのであれば、自身がその変化になりなさい」というマハトマ・ガンジーの素晴しいアドバイスがあり、私たちはそれに従うことができます。

マハトマ・ガンジー

マハトマ・ガンジー

 

そのためには、自分が何かと自己を同一視していると感じたら、先ほどのような脱同一化を試してみてください。

 

たとえば、「わたしには**についての知識があるが、わたしはわたしの知識ではない」、「わたしには**をよく理解する能力があるが、わたしはわたしの知性ではない」、「わたしは**の社員であり(**の家族であり)、その人間関係、利害関係、しきたりの中で生きているが、そのような所属やしきたりは、わたしの自己、わたしのほんとうの『わたし』をどうすることもできない」と心の中で唱えるか、実際に口に出して、この言葉の意味と、そこから生じてくる感覚を味わいます。

 

このようにすることは、会社や家庭への愛や、他の人たちに対する誠実さを捨てることを意味しているのではありません。単に、それらと自分自身が異なるものだということをはっきりさせることを意味します。

そしてそれによって、会社や家庭やその人間関係に振り回されるのではなく、それらと主体的にかかわり、状況に重大な変化が生じた場合にも、冷静に望ましい対処ができるようになります。

 

バラ十字会の神秘学でも心理学でも共通して教えられていることですが、すべての人の心は、奥底でつながっています。ですから、外面的な自己(エゴ)から自由になるという変化は、他のすべての人に微妙な影響を与え、ひいては、徐々に世界を変化させることに役立ちます。

 

さて、疑問がひとつ残っているように思います。このようにさまざまな脱同一化を進めていったとき、最後に残る「わたし」は、いったい何なのでしょうか。じっくりと調べてみてください。ここには、神秘学の核心ともいうことができる真の冒険があります。

インドの音楽家ハズラト・イナーヤト・ハーン(1882-1927)は次の言葉を残しています。

「とうとう、あなたを見つけた。私の心の殻の中に、ひとつぶの真珠のように隠れているあなたを。」

 

今回は話題がやや大きくなりました。それでは、この辺で。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

ではまた。

 

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スポーツと仕事と瞑想について

2016年12月16日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋は、今日も雲ひとつない晴天です。

そちらはいかがでしょうか。

 

さて、以前にもちょっと書きましたが、人はなぜスポーツをするのかという疑問が、長いこと気にかかっていたのです。

もちろん答えは、場面それぞれ、人それぞれで、千差万別なことでしょう。

 

たとえば、最近少し太って、お風呂上がりに鏡で自分を見て、ちょっと情けない気分になったので、一念発起してスポーツでもしてみようか、という場合もあることでしょう。

山登りなどでは、ある場所にたどり着いたときの達成感や、自然と一体になっている感じや、お友達と一緒に歩く楽しみが、その動機かもしれません。

テニスや卓球などの相手がいるスポーツでは、勝ちたいという闘争心が要素になっていたり、あるいは、ラリーが続くのが心地よいという感じだったり、単に球を打つことが楽しいということかもしれません。

 

しかし、これらのいずれとも違う特別な要素があるのではないだろうか。それは何だろうと、考えの整理がつかないというような感じの状態が、ずっと続いていたのです。

 

そして、親しい友人から勧められた本が、この疑問に一応の区切りをつけるヒントになってくれました。

『王国のゴルフ』(マイケル・マーフィー著、山本光伸訳、春秋社、1991年)という本です。

 

スポーツにはどこかしら、私たちに無理を強いるところがあります。

 

『王国のゴルフ』に登場する、シーヴァス・アイアンズという名のスコットランド人のゴルフの名手は、こう語っています。

「プレーするためには、われわれの感覚や想像力、思考力、筋力などをすべて総合しなければならない。つまり生きていく上で必要不可欠な能力がすべて、ゴルフで試されるのだ。われわれの種々の能力をすべて出し切り、それらをお互いに整合させ、しかもクラブやボールやプレーする土地や、一緒にプレーするパートナーともうまく折り合っていかなければならない。」

 

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ゴルフだけでなく、どのスポーツでも同じだと思いますが、プレーしている人は、自分や相手や環境にかかわる、ものすごく多くの要素に影響されながら、そのスポーツをしています。

そして、一生懸命に取り組んでいる人の多くは、良い結果を出すために、そのような要素を克服したり、うまく活用したりすることを目指します。しかし通常このことは、たとえば、考えるというような心の表面的な働きでは、ほとんど達成できません。

 

どういうことでしょうか。

 

分かりやすいので、最高レベルのスポーツ選手を例に考えてみましょう。

たとえば、オリンピックに出るようなスキーの滑降の選手がいるとします。彼もしくは彼女は、スキーの技術を身につける段階では、自分の筋力の限界や道具や、自然環境と技術の関わりなど、さまざまなことを考えながら厳しい練習に取り組んだことでしょう。

 

しかし、オリンピックの本番で急斜面を滑降するときはどうでしょうか。このような極限状態では、頭で考えているのでは、斜面や雪面の変化や、風圧や、バランスの崩れに対応することはできません。

今までの練習の積み重ねの成果によって、心の内側からの促しによって体が反射的に動くので、人間業とは思えないスピードにもかかわらず、転倒せずに降りてくることができます。

 

このような場合に、人はおのずから、直観やインスピレーションというような心の深い部分の働きに頼ることになります。

 

私たちが日常行なっているレベルのスポーツであっても、先ほどのゴルフの例のように、自分、一緒にプレーする人、自然環境など、関連している要素が無数にあります。そしてそれらと折り合ったり(特に自分と折り合うのは難しいことです)、協力したり、それらをうまく克服したりしようとするとき、私たちは、ひらめきのような直観を用いること、つまり心の奥深くをよく働かせることを自然と促されます。

このことは、いつでも完璧にうまくいくわけではありません。しかし、うまくいっているときには何か、よく説明できない絶好調のような状態になります。この状態は「ゾーン」と呼ばれています。

参考記事:「ゾーンに入る」とは

 

心の奥深くがよく働くということは、逆に言えば、心の浅い部分の働きが抑えられているということにあたります。

映画『燃えよドラゴン』に出てくるセリフですが、ブルース・リーは弟子に稽古をつけていて「考えるな、感じろ」(Don’t think. Feel!)といいます。

 

私が数十年愛好しているバドミントンを例にとると、リオデジャネイロ・オリンピックの女子ダブルスで高橋・松友ペアは、最終セットで16対19と負けているところから、21対19と逆転して金メダルを取りました。高橋選手は、この最後の5連続得点をしたときの自分を覚えていないと後に語っています。

皆さまにもご経験があることでしょうが、このように自分を覚えていないということは、高度な集中によって、心の浅い部分の働きが抑えられているときに起こります。

 

さて、バラ十字会のような神秘学派で学んでいる人の多くは、瞑想を日常の習慣にしています。

瞑想とは、何かを深く考たりすることだとされることがあります。深く何かひとつのことに集中することだとされることもあります。また、リラックスして深呼吸をすることでストレスを発散させることだと考えられることもあります。

いずれも、部分的には正しいのですが、瞑想の最も重要な要素は、このいずれでもありません。

 

瞑想の最大の眼目は、表面的な心の働きを抑えることによって、心の奥深くがよく働くようにすることです。いえ、心の奥深くはいつでもよく働いているのですが、その声が聞き取れるように耳を澄ますことです。表面的な自己(エゴ)を感じなくなるので、「無心の状態」ということができるかもしれません。

スポーツのゾーンの状態では、心の奥深くの促しに従うように体が動いているので、この状態と瞑想はよく似ています。

 

先ほどの本で、シーヴァスは次のようにも語っています。

「気品をもって鍛錬に励めば、人生のどんな場面でも特別の能力が得られる。いい仕事をしていれば、仕事においても、良好な愛情生活を送っていれば――その愛情生活においても。ともかく一生懸命ゴルフをやれば、必ずや、生きていく上での新しいパワーを手にゴルフ場をあとにすることができるのだ」

 

「ゴルフ」を「瞑想」に置き換えても、この言葉はそのまま正しいと、瞑想の体験を積まれている方はお感じになることでしょう。

 

そしてこの線に沿って考えを進めると、飛躍しているように思われるかも知れませんが、私たちが日常で最高に能力を発揮しようとしているときには、その一刻一刻がスポーツのようであるべきだということもできますし、瞑想のようであるべきだということもできます。

そして、最初に書いた「人はなぜスポーツをするのか」という疑問に対する、今の段階の私の答えは、「心の奥深くの促しに従うという経験を積むことで、新しいパワーと生き方を手に入れるため」です。

 

スポーツ心理学の専門家によれば、「ゾーン」に入っている選手は、ほぼ例外なく、落ち着いた感じと、ワクワク感と、充実した気合いの3つを同時に感じているそうです。

ですからスポーツはもちろんですが、瞑想のためにも、日常の仕事で十分に能力を発揮するためにも、この3つの感じを手に入れることが、重要なポイントになるように思われます。

では、この3つの感じを、どのようにして実現したらよいのでしょうか。このことについては、いずれ考えがまとまったら、ご紹介させていただきたいと思います。バラ十字会の通信講座で学習をされている方には、視覚化や根源的生命力と、このテーマの関連について考えてみることをお勧めします。

 

今日お伝えしたかったことは以上です。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

ではまた。

 

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クリスマル・キャロル

2016年12月9日

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

東京板橋ではこの数日、冬らしい、乾燥した晴天が続いています。

いかがお過ごしでしょうか。

 

先日、スターウォーズのテレビ放送をビデオに取ることができ、久しぶりに見ました。ダースベイダ―やパルパティーンなどの悪役キャラに迫力があり、実に小気味がよいほどでした。

映画に限らず興味深いストーリーには、すごみのある悪役が欠かせないようです。

 

悪役といえば、小説『クリスマス・キャロル』のスクルージも有名です。この小説について、札幌で当会の公認インストラクターをされている森和久さんから文章をお寄せいただいたので、今日はそれをご紹介させていただきたく思います。

 

▽ ▽ ▽

 

文芸作品を神秘学的に読み解く② クリスマス・キャロル(A Christmas Carol)

森和久のポートレート

森 和久

 

 

19世紀のイギリス人作家チャールズ・ディケンズが書いた『クリスマス・キャロル』は、この季節になると取り上げられる定番の作品です。何度も映画化されていますので、ご覧になった方も多いことでしょう。

 

Charles Dickens-A Christmas Carol-Title page-First edition 1843

『クリスマス・キャロル』、原本扉、John Leech [Public domain], via Wikimedia Commons

 

スクルージという冷酷でエゴイストな老人が主人公です。彼の名は、英語で「守銭奴、利己的な人」という意味の一般名詞として使われるようにさえなりました。また、映画『3人のゴースト』の原題は『Scrooged』、つまり「スクルージな人=利己的な人」です。

 

クリスマス・イブに甥のフレッドが、クリスマスのディナーにスクルージをいつものように招待しますが、例によってスクルージはそれをけんもほろろに断ります。

その夜、スクルージは7年前に亡くなった共同経営者ジェイコブ・マーレイの亡霊と対面し、過去、現在、未来の霊それぞれの訪問を受けるだろうと伝えられます。スクルージは、それぞれの霊に連れられて町の各地を訪れ、自分と向き合い改心していくのです。

 

Marley's Ghost-John Leech, 1843

スクルージとマーレイの亡霊、John Leech [Public domain], via Wikimedia Commons

 

神秘学では7という数のことを、物質の世界の周期を支配している数だと考えています。ジェイコブという名前から、キリスト教圏の方々の多くは、神(エル)に打ち勝った者(イシャラー)を意味するイスラエルという名を授かったヤコブを思い起こします。ジェイコブが死んで一つの周期が巡り、スクルージにこのできごとが起こります。「現在の霊」が服の中に抱え込んでいたのは〈無知〉と〈欲〉という子供でした。

 

この霊(Sprit)とは何なのでしょうか。神秘学的に言えば、「内なる師」つまり「内的な自己」です。または俗にいう「守護霊」ということになるでしょう。

極悪冷徹なスクルージのような人間でも心の深い底には、情と慈愛にあふれる魂を持っているということなのでしょう。だからこそ善良な市民として立ち直れると。

 

ではスクルージほど冷酷でない私たちは、どのように為すべきなのでしょうか。それはスクルージとの対比として、甥のフレッドを通して描かれています。

フレッドの亡くなった母親、つまりスクルージの妹は、子供のころ、離れ離れで暮らしていた兄スクルージと一緒に暮らせることになったときに心底喜んだ心優しい少女でした。そんな母親の心を受け継いでいるのがフレッドです。

クリスマスツリーと流れる音楽

 

スクルージをクリスマス・パーティに誘い、断わられたフレッドはこのように述べています。

「あの人が好もうが好まざろうが、僕は毎年こういう機会をあの人に与えるつもりですよ。だって僕はあの人が気の毒でたまらないんですからね。あの人は死ぬまでクリスマスを罵っているかも知れない。」

「しかし、彼は考え直さずにはいられないでしょう―僕はあの人に挑戦しますよ―僕が上機嫌で、来る年も来る年も、『スクルージ伯父さん、ご機嫌はいかがですか』と訪ねて行くのを見たらね。」

「もし、あの憐れな使用人に50ポンドでも遺しておくような心持にしてやれたら、それだけでもなんらかの事はある訳ですからね。それに、僕は昨日あの人の心を大きく揺るがしたと思うんですよ。」

 

私たちはこのフレッドのような人に学ばなくてはならないと思うのです。誰か大切な人の「内的な自己」も目覚めるのを待っているはずです。迎えに行ってあげるのが私たちにできることなのではないでしょうか。

 

△ △ △

 

この物語のスクルージの悪人ぶりも見事ですが、世界の歴史を代表する悪人に、ヘンリー8世がいます。ご興味をお持ちの方は、こちらもどうぞ。

参考記事:『イギリスの王室の大悪人ヘンリー8世

 

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

それでは、また。

 

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