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笛の世界(その1)

2017年4月21日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋は春も盛りで、ハナミズキやヤマブキ、八重桜の花が道ばたを飾っています。

そちらはいかがでしょうか。

 

このブログでは、この何回か、やや重たい話題が続いたので、読者の皆さんに気分転換をしていただこうと考えました。

 

私の友人に、山形にお住まいで当会の理事をされている、三度の飯よりもお祭りが好きという陽気な方がいます。

この方にお寄せいただいた、笛にまつわる体験記をご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

『笛の世界』(その1)

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦

 

突然ですが、人類史上最古の楽器とは何なのかご存知でしょうか?

 

それは『打楽器』だと言われています。ではどのような形の楽器だったのでしょうか?

それは音楽用語でボディーパーカッション、早い話が、自分自身の身体を叩いて音を出すことです。

これが、人類が最初に手に入れた(知った)楽器と言われています。

 

では、息を吹き込んで音を出す、いわゆる「笛」といわれるたぐいの楽器は、どうやって考え出されたのでしょうか?

 

一説には、茎が中空となっている植物(竹や葦など)が立ち枯れ、あるいは刈り取られた場所に強い風が吹き込んで、「ヒュー」とか「ピュー」といった音(ビンの縁に息を吹き込んで音を出すのと同じ原理ですね)が出るのにヒントを得て、笛の原型が作られたと言われています。

 

 

さて今回は、ふとしたことから、そんな笛の世界に入り込んだ(引きずり込まれた?)不器用な男の、汗と涙と感動と、ちょっぴり笑いの入り交じった体験談を始めようと思います。

 

* * *

 

時は平成七年六月。私の住んでいる村山市で新しい祭りが誕生しようとしていました。我が村山市と友好都市の関係にある北海道は厚岸(あっけし)町の港祭りをそっくりそのまま、ここ村山市で、私ら村山市民の手で開催する了承を得たのです。

これには私も参加したかったのですが、つい数日前に父親をあの世に見送ったばかり、いわゆる喪中です。ところが突然に『山下さん、祭りに参加してくれませんか、お囃子の笛のメンバーが足りないんです、山下さん楽器できるでしょう』。

そりゃ多少はフルートが吹けました、祭り笛も何とかなるかもしれません、でも世間的には喪中です、丁重に断わりました。それでも勧誘は続きました。

そこで仕方なく母に相談しました。すると、『祭りの好きな人だったからね~。これも供養と思って参加したら……』。

 

この一言で祭りに参加することに。それからしばらくして、四十九日の法要の終わった翌日からお囃子の笛の練習に参加させてもらうことに。使用するのは、明笛(みんてき)と呼ばれる中国をルーツ(?)とする、派手な飾りの付いた横笛でした。

私も初めて見る笛でしたが、音の出る原理はフルートと全く同じのはず……でしたが。お囃子の笛とフルートは似て非なる全くの別物ということを、思いっきり知らされました。

音はほとんど出ません(出せない)、さらに、曲のメロディーのノリも西洋音楽とも演歌、歌謡曲、民謡とも全く違います。ところが他のメンバーは、もうほとんど出来上がっています(私は遅れてのスタートでしたから)。

 

それから必死に頑張ったのですが、ほとんど吹けないままに祭り本番に突入。私は『え~い!!こうなったら開き直りだ!!』とばかりに、本番ではほとんど『吹いている真似…だけ』やっていました。

当然のこと、祭りの終了後は自己嫌悪の嵐が吹きまくりました。このままでは引き下がれません。そこで翌年の春、自分用の笛を購入、猛練習の開始です。

 

 

まずは音出しの練習です、次にメトロノームを相手に曲の練習です。朝・昼・夕・夜、と一日に四・五時間はやっていたでしょうか。その結果、不器用を絵に描いた様な私でも、なんとか他のメンバーに追い付くことができました。

ところが祭りを三日後に控えた日の朝、突然の腰痛(私の職業病)で動けなくなってしまいました。翌日、何とかしなければと、腰痛治療の名医がいるという総合病院の整形外科に。

待つこと三時間、診断結果は『ヘルニアではありません。歳…ですな~…痛い時は近くの接骨院に……』。

 

こうなったら、またも開き直りです。翌日、祭り本番直前に、座薬を入れ、湿布薬を貼り、骨盤ベルトを締め、さらに鎮痛剤を飲んで『いざ、出陣!!』です。もし動けなくなっても周りに仲間が大勢います。

祭り会場には救急車も待機しています、何も考えずに最後まで笛を吹きまくりました。

(次回に続く)

△ △ △

 

ふたたび本庄です。十代のころの数年間ですが、私は浅草に住んでいました。よく通った浅草寺の近くに、祭りに用いるらしい笛がたくさん並んでいる専門の店がありました。

しきいが高そうで、一度も入ったことがなかったのですが、この文章を読んで、そのお店のことを懐かしく思い出しました。もし、のれんをくぐったら、今とは違う人生を歩んでいたのかもしれません。

 

下記は、山下さんから以前にお寄せいただいた、やはり音楽にまつわる文章です。

宇宙という名の楽器(その1)

宇宙という名の楽器(その2)

宇宙という名の楽器(その3)

 

今回の話しの続きは、数週後に紹介させていただくことになると思います。よろしくお付き合いください。

では、また。

 

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人生の学習 - 6種類の性格について

2017年4月14日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋は、朝から良い天気です。そよ風が吹き、まるで芝居の舞台のように、桜の花びらが、少しずつ舞っています。

そちらはいかがでしょうか。

 

昨日の朝のテレビ番組で、人気のネット動画が紹介されていました。ちょっと太った可愛い黒いネコが、飼い主に意地悪をしているのです。ティッシュペーパーの箱を前足で押さえるようにして、飼い主がペーパーを取ろうとすると手を引っ掻きます。ラップトップパソコンの上に乗って、決して使わせません。

 

このネコは、構ってほしいときにこのような意地悪をするのだそうです。

まるで人間のような様子に、笑ってしまいました。

ネコにも、人と同じように、いろいろな性格があるのでしょう。

 

以前に話題にしたことがありますが、20世紀の初めごろの古い心理学では、心の病を抱えている人を研究することに重点が置かれていました。一方で、その後の心理学では、心の健康な人たちや、子供から大人になるときの心の発達、人類の心の発達の歴史が積極的に研究されるようになりました。

参考記事:『人生の学習 - マズローの心理学

 

人の性格も、以前は心の病との関係で研究されることが多かったようです。ところが最近では、ある性格の長所と短所の両方が考察されるようになりましたし、性格と心の発達の関係が深く理解されるようになりました。

 

カナダのエリック・バーンという人は、20世紀の中ごろに「交流分析」という心理学の分野を作りました。人の心の状態には、親の行動パターンを無意識に模倣している状態(Parent)、成人としての経験と知識を生かしている状態(Adult)、子供のころの振る舞いを再現している状態(Child)があるということを基礎にして、人の性格の特徴を説明したり、コミュニケーションの性質を解明したりする理論(PACモデル)です。

 

この研究がさらに発展し、人には6つの「人格適応型」があるという説が出されています。

「人格適応型」というと難しく感じられますが、要するに、人の性格を6つに分類する、とても優れた方法が見つかったということです。

もちろん、たった6種類の性格に、すべての人が単純に分類できるわけではありません。しかし、この6種類のうちの、ひとつか、多くても2つの特徴の組み合わせによって、大部分の人の性格を、よく理解できることが知られています。

 

この6つの性格は、子供時代に行った適応によって作られたものです。

子供は、両親など周囲の人の助けがなければ生き続けられないという意味で、とても無力な存在ですし、自分でそのことを強く実感しています。そして、生き延びるために、周囲の大人との良い関係を保とうとして、自分の行動を、両親の特徴や周囲の状況に合わせる決断をします。

この決断はしばしば、大人になった後の行動にも影響を与え、その人の性格の特徴を決める要因になるとされています。

 

この6つの分類は、慣れないうちは多少戸惑うかも知れませんが、理解が進むにつれて、自分と他の人たちを深く理解するために、とても役に立つことが分かってきます。

これらの特徴は、社会生活では隠されていることも多いのですが、その人が大きなストレスに出会ったときなどに、特にはっきりと表れるようになります。

 

自分を理解するという点でいえば、特に、自分が子供の頃に作り上げてしまった、望ましくない行動上の癖に、どのように気づき、それを(必要であれば)どのようにして変えたら良いかが理解できます。(しかし、自分の手に負えない場合は、臨床心理士などの資格を持つ専門家の手を借りるべきです。)

 

そこで今回は、人の性格のこの6つの分類についてご紹介したいと思います。

 

ちなみに、以下でご紹介する性格の特徴のうち、最初の3つは3歳ごろまで、後の3つは6歳ごろまでに作られるとされています。

そして多くの場合、大人になってもあまり変わることがありません。

 

特徴が分かりやすくなるように、表現はストレートにされていますし、歯に衣を着せずあからさまに書いています。お読みになって、気を悪くされないようお願いします。

1.創造的夢想家

ある子供を育てていた親が、その子が何かを求めたときに、たびたび自信を失い、うろたえていたとします。そのような体験をした子供の多くは、それを敏感に感じ取って、生き延びるために、いわば、“親には何も求めないという決断”をします。そうすれば親には不都合がなくなり、自分のことをこれからも世話してくれるだろうと考えるのです。

このような決断を子供のころに行った人の多くが、「創造的夢想家」と呼ばれる特徴の性格を持つことが知られています。大人になっても、親以外の多くの人に対して、そのような決断をそのまま持ち越しています。つまり、自分の欲求をかなえてくれることを他の人に率直に求めるのでなく、空想で欲求を満たそうとする傾向があります。

このような人は、深く考える、創造性が高い人であることが多く、哲学者や芸術家になる場合もあります。一方で、引きこもる傾向、現実と向き合うことを避ける傾向があり、周囲の人からよそよそしく感じられてしまう場合もあります。

 

2.才気ある懐疑者

まだ周囲のことをよく理解できない子供が、不意打ちのように、不当だと感じる仕打ちを何回も受けたとします。よく分からないのに何かを食べることを無理強いされたり、両親から一貫していないやり方で叱られたり、やむを得なかったのかも知れませんが、医療上のさまざまな処置を受けたというような場合です。このような状況を体験した子供は、過剰に用心深くなり、自分の遊び心を抑え、他の人の意図を疑うようになることがあります。

性格の特徴が「才気ある懐疑者」に分類される人の多くは、このように育てられたと考えられています。この性格を持つ人は、周囲の人との心理的な距離を保ち続けようとする傾向があります。

この特徴を持つ人の多くは、些細なことにも力を尽くすことができ、問題を予測し、対策を考えることが得意です。数学や法律の専門家になったりする人が多く、管理業務で力を発揮する傾向があります。

一方で、人を非難しやすい面があり、自分にも厳しく、頑固で、自分の考えていることはすべて正しいと考える傾向があるとされています。

 

3.魅力的操作者

競争相手がいて、両親の愛情や他の欲しいものが、その相手に奪われたとたびたび感じるような環境で子供が育ったとします。そのような状況に置かれた子供は、誰もあてにしないことと、言い方がやや悪くなりますが、両親や周囲の人をうまく操って生き延びることを決断するようになることがあります。

「魅力的操作者」に性格が分類される人の多くは、このような決断を大人になっても、多少引きずっていると考えることができます。とにかく手に入れられるものは何でも手に入れよう、傷つかないでそうしようとする傾向があります。

この性格を持つ人の多くが、とても魅力的であることが知られています。商売や、さまざまなプロジェクトを推し進めること、人を動かすことに長けている場合が多く見られます。

一方で、このような人の多くは、ひとつのことに専念することができず、ものごとを最後までやり遂げることも苦手だと言われています。やや誠実さを欠き、策を用いて周囲の人を操作する傾向があるとさえ言われています。

 

4.おどけた反抗者

あらゆる物事を自分が望むようにコントロールし、子供の自主性を認めない傾向がある親に、ある子供が育てられたとします。そのような子供の一部は親に反抗し、子供に反抗されればされるほど、今後は親が子供を批判するという悪循環が生じることがあります。

このような状況で育った人は、「おどけた反抗者」に分類される性格を持つようになることがあります。この特徴を持つ人は、大人になっても、この悪循環の状態が内面的に続いているとさえ考えることができます。人生を戦いだと見る傾向、ものごとに完全に白黒をつけようとする傾向があります。

このような人の多くは、おどけた子供のようなエネルギーを持っています。粘り強く興味を追求する傾向があり、鑑定家や探偵、批評家に適した性格の特徴であるということができます。また、調査を主に行なう研究分野で力を発揮することが多いと言われています。

一方で、他人の指示に従わず、必要以上に物事を複雑にしたり、反抗して周囲の人に不快を感じさせたりすることがあるとされています。

 

5.責任感ある仕事中毒者

ある子供が、まだ小さいにもかかわらず、物事を達成することや、両親が望んでいることを行なうことを強く求められ続けたとします。そのような子供は、両親の望みに自分を合わせざるを得ず、自分の欲求の多くをあきらめなければなりません。

子供のときに、このような適応をした人が、大人になってもその傾向を持ち続けていると、「責任感ある仕事中毒者」という分類の性格にあてはまるようになります。このような人の多くは、大人になっても、自分の欲求よりも責任を果たすことを優先する傾向があります。

この特徴を持つ人は、良心的で信頼でき、物事を進展させる社会の中心人物になることがあります。一方で、管理職になった場合でも権限を委譲することができず、細かいところまで指示を出し、周囲の人からは、不機嫌で退屈している人だと見られる傾向があります。

 

6.熱狂的過剰反応者

ある子供が、自分の愛らしいところ、面白いところにばかり関心と愛情を示す両親に育てられ、考えたり何かをなし遂げたりすることを、あまり評価されなかったとします。そのような子供は、ポジティブな感情を表わすことをエスカレートさせ、一方で、自分の怒りや不安、悲しみ、混乱は隠すようになることが考えられます。

このような振る舞い方が大人になっても続く場合があり、そのような場合に見られる性格の特徴は、「熱狂的過剰反応者」と名付けられています。

この性格を持つ人は、熱狂的で楽しく、面白い人であることが多いとされています。社交的で、もてなし上手で、広報や宣伝の仕事をうまくこなし、周囲の人が心地よく感じるようにすることを好む傾向があります。

一方で、情緒が不安定で、自己中心的で、見栄っ張りの傾向があります。また、他人から注目を受けていないと愛されていないと感じ、自分が重要でないと感じることもあります。また、ちょっとした批判にも、心の大きな混乱をきたす傾向があります。

 

以上、駆け足の説明でしたが、6種類の性格について、おおむねの感じが掴めたのではないでしょうか。

もちろん、子供の育てられ方や、その状況には、この6種類しかないわけではありませんが、子供が行う適応が性格に及ぼす影響は、典型的には、この6つに分けて理解することができます。

 

さて、まず手始めに、あなた自身が1から6のどれにもっとも近いかを考えてみてください。

そして、あなたが子供のころに行なった決断は何なのだろうかと考えてみてください。それはおそらく、生き延びるため、あるいは周囲との関係を良くするための、やむにやまれぬ最善の決断だったのです。しかし、大人になった今は、必要であると考えるならば、それを修正するという選択を取ることもできます。

 

次に、あなたと最も親しい人、最も相性の悪い人を思い浮かべて、どの性格にあたるのかを考えてみてください。

それは、その人を批判するためでも、変わってもらうためでもありません。

私たち人間は誰もが、過去からさまざまな影響を受けて、今このようにあるのだと言うことが、実感できることと思います。

 

この説にご興味を持たれた方は、やや専門的な本ですが、「交流分析による人格適応論」(誠信書房、2007年)をお読みになると、性格のこの分類について、さらに詳しく知ることができます。

 

やや長くなりました。今回の話には「人生の学習」という題を付け加えました。この名にふさわしい情報だとお感じいただけたとしたら、心から嬉しく思います。

参考記事:『人生の学習 - 悪い習慣を変える

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

では、また。

 

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人を思いやるということ

2017年4月7日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋では、朝から強い風が吹いていて、満開になったソメイヨシノから桜吹雪が舞っています。

いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、ある有名な心理学の実験らしいのですが、4歳の子供に被験者になってもらいます。そして、半面を赤、半面を緑に塗ったボールを用意して、その子供によく見てもらいます。

次に、赤の側の面が自分を向き、緑の側の面が相手に向くようにして、子供に「あなたが見ているのは、何色ですか」と尋ねます。

すると、子供は「緑」と正しく答えます。

次に「私が見ているのは、何色ですか」と尋ねます。すると、子供はたいてい「緑」という間違った答えをします。

それは、相手の立場に身を置くという能力が、通常は4歳よりも後に身につくからです。

 

子供の心理的な発達は、人類の歴史上の心理的な発達を繰り返すように進むことが知られています。

ですから、人間が相手の立場に身を置くという能力を手に入れたのは、それほど昔ではないことが分かります。

参考記事:『人類と子供の心の進歩の段階

 

相手の立場に身を置くというこの能力が基礎になって、人を思いやる心や同情する気持ちなどの、高度な心の働きが生じます。

バラ十字会AMORCのフランス代表が、自身のブログ記事で、思いやりのことを取り上げていますので、以下にご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「人を思いやるということ」

 

人間が、同胞である他の人に示すことができる最も素晴しい美徳は、思いやりの心ではないでしょうか。

ご存知のように思いやりとは、他の人の試練や苦しみを、自分の試練や苦しみのように感じ、そのような状況にある人に寄り添ったり、気持ちだけでしかできないとしても、苦しみの一部を担おうとしたりすることです。

思いやりという、内面から湧き出てくるこの感情は、助け合いや連帯や友愛として、できるだけ実際の行動に表わされるべきだと思いますし、バラ十字会員の多くは、その哲学に沿って、そうするように心がけています。

 

思いやりとほとんど同じ使われ方をする言葉に「慈悲」という言葉がありますが、この言葉は、ほとんどの場合に、宗教的との関連で使われています。

その理由は、慈悲ということが、大部分の宗教とその聖典の重要な要素になっているからでしょう。特に仏陀とイエスは、慈悲を哲学の基礎にしました。

「哲学」という言葉を私が使ったのは、慈悲という徳は、これらの宗教の教義の一要素というよりはむしろ、苦しんでいる人や助けを必要としている人たちに向けた振る舞い方の理想にあたるからです。

このように考えると、苦しんでいる他人に慈悲を示し、その苦痛を和らげたり解消したりしようとする努力には、必ずしも信仰が必要とされるわけではありません。ただ、ヒューマニストであること、つまり、あらゆる人の存在を大切に考える人であるというだけで十分です。

バスの乗車で老人を助ける少女

 

ですから思いやりは、人間の他の多くの美徳と同じように、宗教的な感情というよりは、哲学やヒューマニズム(人間尊重の精神)に深く関連しています。

思いやりの心が、人類の間に今以上に広まれば、世界の状況が大いに改善されることは明らかでしょう。

その実現のためには、宗教、民族、国籍、文化や、人と人の間の外見上の違いになっているあらゆる要素とは無関係に、他の人たちの生活、健康、幸不幸が、望ましい状態であるかどうかということが、大多数の人の関心事になっている必要があります。

 

残念なことに、最近の数年にわたって、多数の国々が経済や社会の危機に直面していることが理由で、過度な個人主義と国家中心主義に多くの人が陥っている傾向が見られ、この両方から、差別や排他主義が生じています。

 

宗教的な感じを避けるためなのかもしれませんが、一部の人は、思いやりや慈悲という言葉を避け、その代わりに「共感」を話題にすることを望むようです。思いやりということには宗教的な性質があると(誤って)考えているためです。

共感とは、「他の人がどのように感じているかを感知する能力」ですから、それはそれで素晴しいことだと思います。

しかし、思いやりとは、「他の人たちが訴えている苦しみを自分も感じ、他の人の困難を和らげようとすること」であるとすれば、共感よりも具体的で心に響く言葉だと思います。

人を思いやるということには、実際のところ、他の人たちの困難や苦しみや痛みを感じるだけでなく、可能であれば助けようとすることも含まれているのではないでしょうか。

 

最後に述べておきたいと思いますが、「思いやり」と「あわれみ」を混同すべきではありません。

他の人たちの運命にあわれみを感じるということは、時として、その人に対する優越感の表れであることがあります。他人が自分よりも劣った状態、もしくは低いレベルにあると感じるような場合です。

他の人を心から思いやっている場合には、対等に、心の底から、まるでその状況に自分があるように感じているものです。

ですから、そのことについて何らかの価値判断をしているわけではなく、苦悩を分かち合い、その人を助けたいという心からの望みだけがあります。

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

△ △ △

 

いかがでしたでしょうか。

何らかの形で、あなたの思索のきっかけになれば、とても嬉しく思います。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

では、また。

 

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常識を乗り越えること

2017年3月31日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

バラ十字会日本本部代表、本庄のポートレイト

 

東京板橋の事務所のすぐそばには、地名の由来になっている橋があります。旧中山道が石神井川を越える場所にあたり、今週から、毎春恒例の夜桜のライトアップが始まりました。

そちらでは、春の訪れはいかがでしょうか。

 

先日のことですが、ある講演のために必要になり、人体の血液の循環について調べていました。

きっと皆さまも私と同じように、以前に学校の理科の時間に学んだことを思いだされるに違いありません。

血液は、心臓というポンプの働きで体全体を循環しています。そして、あらゆる細胞に酸素と栄養素を届け、また、二酸化炭素と老廃物を回収して、それを処理する器官にまで運んでいます。

 

インターネットで、「大循環」、「肺循環」、「門脈循環」、「腎循環」という4つのキーワードを調べると、心臓、肺、肝臓、腎臓が、どのようにつながっていて、どのように働いているのかが分かり、なかなか面白い調べものになります。

たとえば、お酒を飲んだときには、体内にアルコールという毒物を取り入れていることになりますが、それによって体全体が害されないように、巧妙なシステムが用意されています。

 

人体の循環システムを手書きで図に表わしてみるのは、とても楽しい作業でした。

そして、このように巧妙なしくみができあがるまでに必要だった、地球と生物の歴史に思いを馳せると、やや大げさに聞こえるかも知れませんが、感動を抑えることができません。

 

地球に最初に生物が誕生したのは40億年前のことでした。単細胞生物ですので、このときには循環系はありませんでした。

そして15億年前に多細胞生物が生じ、5億年前には動物が生じ、動物の体が大きく複雑になるにつれて、循環系も進化していきました。

動物が海から陸に上がって、魚類が両生類へと進化した3億6千万年前には、肝臓や腎臓に、全く新しい役割を果たす必要が生じました。

その後も、肺ができたり、心房が1つから2つになったりするというような、循環系の大きな変化がありました。

 

長い歳月にわたるこのような進化のすべてを受け継いで、今の私たちの人体のしくみがあるわけです。

それは、概略図を見ただけでもため息が出るほど見事なシステムです。

循環系の概略図とウィリアム・ハーベイの肖像画

循環系の概略図とウィリアム・ハーベイの肖像画

 

血液が循環するということが知られたのは、イギリスの医師で生理学者のウィリアム・ハーベイという人の功績です。彼はバラ十字会員だったと言われています。

1628年に彼はこの説を発表したのですが、ガレノスという人の学説に支配されていた当時の医学界からは猛反発がありました。大学者ガレノスの説を疑うことは許されていなかったのです。

 

Galen detail

ガレノス(ピエール・ロッシュ・ヴィニュロンによるリトグラフ、1865年、パリ) Pierre-Roch Vigneron [Public domain], via Wikimedia Commons

 

調べてみるとガレノスという人は、何と西暦2世紀、古代ローマ帝国時代のギリシャ人の医者でした。以前に話題にしたことがありますが、古代ギリシャ、古代ローマの知識のかなりの部分が、古代エジプトから伝えられています。

参考記事:『すべてはエジプトから

 

ガレノスも、エジプトのアレクサンドリアなどで医学を学んだ後に、ローマに戻り、多くの手術や解剖の経験を積んだようです。

 

ガレノスは、食物は腸で吸収されると肝臓へ行って、そこで血液になり静脈を通って体中に運ばれ、そこで消費されて失われると考えました。また、心臓で生じた血液は、動脈によって全身に運ばれ、やはりそこで失われ、循環することはないとされていました。

彼はあまりにも偉大な医者であり学者でした。剣闘士の養成所で外科医を務めていたため、解剖することができる遺体を多く入手することができたのでしょう。人体の構造についての彼の論文はとても正確で、後の医学に多大な貢献をしました。そして血液についての彼の説は、1400年間疑われることなく医学界の常識になっていました。

 

そのため、血液が循環し、しかも動脈と静脈がひとつの経路を作っているというハーベイの考え方は、あまりにも常識外れだと思われ、すぐには受け入れられなかったのです。

 

この話を聞いて、コペルニクスのことを思い起こされる方もいらっしゃるのではないでしょうか。ウィリアム・ハーベイと同じ16世紀の、ポーランドの天文学者で、地球は太陽のまわりを回っているという地動説を唱えた人です。

当時広く認められていたのは、西暦2世紀のアレクサンドリアの学者プトレマイオスの天動説でした。天動説では、地球が宇宙の不動の中心であるとされていました。

 

プトレマイオスも偉大な学者でした。天文学だけでなく、数学、地理学、光学で目覚ましい功績を残しています。

彼の権威と、大地は動かないものであるという日常感覚もあり、天動説も1000年以上の間、疑うことすら思いつかないような常識になっていました。地動説は当時の人にとって、ありえないほど奇妙な説に感じられたに違いありません。

それどころか、天動説は当時のキリスト教の考え方とも深く結びついていたため、地動説を唱えた学者は迫害を受け、ジョルダーノ・ブルーノのように火あぶりになった人さえいます。

参考記事:『科学的なことと非科学的なこと-アインシュタインと神秘学

 

私たち人間は、ある考え方を一度受け入れてしまうと、それに反する事実が出てきたとしても、それを例外と考え、古い常識からは、なかなか抜け出そうとしません。

歴史は繰り返すという言葉の通り、このことは今も続いています。

 

現在の先進国の社会の枠組みができたのは、18世紀の産業革命がきっかけでした。そして、近代産業の発達を支えたのは、当時の数学と古いタイプの物理学でした。産業の進歩で私たちの生活は豊かになり、この2つの学問は、固定的権威としての役割を果たすようになります。

物理と数学だけによって、世界のすべてが解き明かされるであろうという楽観的な見方が生じたことがありますし、その他の学問は、数学と物理学の単なる応用でしかなくなるだろうと考えられたことさえあります。

 

世界には物質しかなく、精神や意識や自由意志は、単に物質の働きか幻想であるという極端に唯物論的な考え方も、この延長線上にあると考えることができます。バラ十字会AMORCは宣言書などで、この傾向の危険性を指摘しています。

参考記事:『バラ十字会AMORCのマニフェスト(Manifesto):宣言書のご紹介

 

以前もご紹介したことがありますが、イギリスの生物学者ルパート・シェルドレイクは、『科学を硬直から解き放つ』(“Science Set Free: 10 Paths to New Discovery”, Deepak Chopra Books, 2012)という本の前書きに、多くの科学者が持っている独断的な信念として次の10項目を挙げています。

1.すべてのものは、基本的には機械である。たとえば犬は、自身の目的をもつ生物というよりは、複雑な機械である。人間でさえ機械である。

2.すべての物質には意識がない。物質には、生命が内在しているわけではなく、主観となる能力も、意見を持つ能力もない。人間の意識でさえ、脳という物質の活動が作りだした幻想である。

3.物質とエネルギーの総和は常に一定である(しかしビッグバンは例外であり、このときは宇宙に突然、物質とエネルギーが現れたとされる)。

4.自然のさまざまな法則は変わることがない。それらは、時の初めから今も変わらず、永遠に同じままである。

5.自然界には目的というようなものはなく、進化は何かを目指しているわけでもなく、何かに指揮されているわけでもない。

6.生物に起こる遺伝は、すべて物質的な現象であり、DNAという遺伝物質や、物質で構成された他の何かによってなし遂げられている。

7.心は頭の中に存在していて、脳の活動以外の何ものでもない。あなたが木を見ているとき、見えているその木のイメージは、それが見えている「外のそこ」にあるのではなく、あなたの脳の中にある。

8.記憶とは、脳の中に物質として残されている痕跡であり、死によって完全に消滅する。

9.テレパシーなどのような説明のつかない現象は幻想である。

10.物質的な医療だけが、真に有効なただひとつの医療である。

 

多くの人の努力の積み重ねによって、過去の常識が乗り越えられて、上の10項目のうちの多くが(もしかしたらすべてが)誤りであるということが、いずれ理解されるかもしれません。

生まれ変わったときに、ぜひこの目で、いえ別の目で、未来の科学と哲学を見てみたいものです。考えただけでもワクワクします。

 

今回は、この辺で。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

では、また。

 

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生まれ変わりについて

2017年3月24日

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。

 

東京板橋では、石神井川沿いのソメイヨシノが、今日開花しました。

そちらの春の訪れは、どのような様子でしょうか。

 

少し前のことですが、20人ほどのグループで、神秘学(mysticism:神秘主義)に関するワークショップを行なう機会があり、そのときに、生まれ変わりということが話題になりました。

どのぐらいの割合の人が、人が生まれ変わると考えているかということには、以前から興味があったので、よい機会だと思い尋ねてみると、ほぼ全員がこのことを確信しているか、おそらく事実ではないかと考えていました。

 

なかなか、日常の話題にはなりにくい事柄ですが、日本人の9割以上が、人は生まれ変わると考えているのではと私は推測しています。では、アメリカやヨーロッパではどうなのでしょうか。

バラ十字会AMORCのフランス代表が、自身の人気ブログの最近の記事で、このことを取り上げていましたので、以下にご紹介させていただきます。

 

▽ ▽ ▽

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサンのブログ

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

Serge Toussaint

記事「生まれ変わりについて」

西洋人の6割程度が、人が人に生まれ変わるということ(reincarnation)を事実だと考えています。そしてこの割合は、最近の20年ほどの間に、ゆっくりと確実に増えています。その主な理由としては、次の2つのことが考えられるようです。

1.〈最後の審判〉とその後の復活という、生まれ変わり説とは相容れない考え方を提唱しているキリスト教が、特に若い世代の人たちに支持されなくなってきていること。

2.生まれ変わり説や、一部の宗派ではメテムサイコシス(後述)を唱えている仏教が、キリスト教とは対照的に西洋諸国で広まりつつあること。

 

大部分のバラ十字会員と同じように私も、人が人に生まれ変わるという考え方を支持しています。しかし当然のことですが、バラ十字会AMORCはこの説を誰かに押しつけようとしているわけではなく、受け入れることも受け入れないことも個人の自由だと考えています。

一方で、もし人生の目的が、内面的に進歩して、いわゆる「賢者」と呼ばれるような、英知に満ちた聡明な状態になることであると考えるならば、そのような目標に達するのには、一回限りの人生では不可能であるということは明らかなように思われます。

数十年程度の経験だけでは、人間の魂に備わっている謙虚、寛容、忍耐、非暴力、誠実、善意などのあらゆる美徳を、行動に表わすことができるようになる人は誰もいないのではないでしょうか。

ですから論理的に考えても、神秘学の見地から見ても、内面的な成長を完全になし遂げるためには、何回もの人生が必要となり、それゆえに、生まれ変わりが必要であることになります。

生まれ変わり(イメージ)

 

生まれ変わりという考え方をひとたび受け入れると、天国、地獄、煉獄というような概念は、すべて根拠を失います。

そして魂は死後に、天国、地獄、煉獄というような、「あの世」の特定の場所のいずれかに行くのではなく、非物質的な世界に精神的な存在として留まり、生まれ変わりを待つと考えるのが自然なことになります。

この非物質的な世界は宇宙意識に満たされていて、その光のもとで魂は、終えたばかりの人生の善と悪のバランスについて回想し、自身を浄化する作業を行ないます。

そして、内面的な進歩の過程を再開すべき時が訪れると、物質の世界に“降りて”、新生児の肉体に入り、新しい人生を開始して、幸せや不幸を体験することになります。

 

先ほどお話ししたように、仏教の一部の宗派や、特にヒンズー教では、メテムサイコシス(metempsychosis)という説が唱えられています。つまり、人間の魂が、自体の欠点を修正したり、犯した過ちをつぐなったりするために、動物体や植物にさえ宿ることがあるとされています。

もちろん、この考え方を信奉することもしないことも、すべての人に任されていることですが、私の意見では、この説には形而上学的な根拠がないように思われます。

というのも、魂は進歩することが法則(定め)になっており、退歩も生じると考えるメテムサイコシスは、この法則に完全に反するからです。

一方で、高等動物の一部は個々の魂を持っており、いつの日かこのような魂は人間界に達するということを私は確信しています。

たとえば犬たちについて、「彼らの人との違いは、言葉を持たないことだけだ」(Il ne leur manque que la parole.)という形容が、たびたびされることは、このような可能性を表わしているのではないでしょうか。

 

過去の人生のできごと、特に直前の人生のできごとを思い出すことができるだろうかという疑問が起こります。

答えは「はい」ですが、しかし、使うべき方法(バラ十字会には、いくつかの方法が知られています)を知っていたとしても、それは簡単なことではありません。

そしてこの件に関しては、ぜひ用心深くしていてください。なぜなら悲しいことに、誰でも過去の人生に“退行”させることができると主張する、専門家を“詐称する”人たちがいるからです。

このような能力を持っているふりをすることは道義的に正しくありませんし、そのような人に自身の精神を勝手に操作させてしまうことには危険が伴います。

 

最後に述べますが、自分の持っている個性、性格、好み、興味、理想など、この人生で自分がどのような人間であるかということは、過去の人生に強く影響されていますし、過去の人生で持っていた特徴と、おおむね似ているということも言えます。

 

バラ十字会AMORCフランス本部代表
セルジュ・ツーサン

 

著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。本稿はそのブログからの一記事。

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いかがでしたでしょうか。あなたのお考えとは、どのような点が一致し、どのような点が異なっていたでしょうか。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

では、また。

 

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